「全車指定席」考

 先日南アルプスに入るにあたって、登山口とした広河原というのは、甲府駅からバスで約2時間の所である。山梨には、昨年の秋にもちょっとした事情があって行った(→その時の記事)。その時は、八王子から石和(いさわ)温泉駅まで、「かいじ」という中央本線の特急を利用した。日本の列車はたいてい混んでいないし、直前まで予定の立たないことが多く、スケジュールを縛られたくないし、料金は安い方がいいので(通常期で520円の差)、私はよほどのことが無い限り「自由席」利用である(→「よほどのこと」の例)。日本の列車としては珍しいほど混んでいて、指定席券は売り切れだったのだが、それでも自由席車両に空席はそれなりの数あって、八王子という途中駅からの乗車だったにもかかわらず、相模湖や甲府盆地がよく見える南側の窓際の席に座ることができた。
 今回、『時刻表』をパラパラ見ながら、石巻を8時の仙石東北ラインに乗って、12時新宿発の「あずさ15号」に乗れば、14:05の最終広河原行きバスに間に合うな、などと考えていたところで、その「あずさ」に「全車指定席」の記号が付いていることに気がついた。「えっ!?!?」と思って意識してみると、「あずさ」だけではなく、「かいじ」も含めた中央本線の特急列車が全て「全車指定席」になっている。ネットで調べてみれば、どうやら今年の春、それらの特急列車をE353系という新型車両に統一するのを機に、JRは全車指定席化をしたようだ。
 ぴんと来た。これは単なる「値上げ」である。以前(2002年)、東北新幹線に「はやて」という列車が登場した時のこと、仙台~大宮をノンストップにして高速化するに当たって、JRはその「はやて」を全車指定席とした。「やまびこ」よりも「はやて」の方が所要時間が短く、それでいて料金が同じでは釣り合わないが、「やまびこ」を上回る新たな特急料金を設定したのでは、利用者の反発を買うと考え、全車指定席化することによって、自由席利用者層に対してだけだが、実質的に約500円の値上げを実現させたのである。このシナリオはJRが公言しているわけもなく、私個人の憶測に過ぎないが、おそらくは誰が考えても同じ憶測に達するはずだ。中央本線も、新型車両を導入してサービスアップ(と言うほどのことかどうかは?)するに当たり、特別料金を設定するわけには行かないので、全車指定席化という手段に訴えたに違いない。
 調べてみれば、乗る列車を決められない人のために、「座席未指定券」なるものを発行し、それを持って乗車し、上部にある赤ランプが点灯している座席に座ってもいいのだそうだ。これはヨーロッパ方式である。私が知っている限り、ヨーロッパの鉄道は、日本のように自由席車と指定席車が分かれてはおらず、予約されていない席が自由席となる。もっとも、「座席未指定券」も指定席券と同じ料金なので、実質自由席券だが料金上は指定席券である。満席の場合は立ち席となるが、これまた通常のように立ち席だから自由席と同じ料金、とはならないらしい。
 JRもこのやり方に批判が出ることは恐れていたのだろう。更に手の込んだやり方で利用者を煙に巻く。料金を中途半端に値下げしたのである。それは以下のとおりだ。

新宿~甲府 今春までの通常期指定席券1860円 自由席券1340円
      今春からの指定席券1550円

 これだけ見ると、指定席利用なら310円の値下げ、自由席利用と比べると210円の値上げである。実に微妙な線を狙っている。しかも、新料金には通常期、繁忙期、閑散期の区別がないので、繁忙期なら510円の値下げ、閑散期でも110円の値下げとなる。自由席券は時期による料金の変化がない。あまり値上げしたという感じでもない。
 ところが、新料金は特急券を乗車前に買うか車内で買うかによって260円の違いがある。つまり、上に1550円と書いたのは事前購入であって、車内で買うと1810円となる。旧料金との差は、指定席で-50円、自由席だと+470円である。これは利用者が注意すれば避けられる事態であって、実際にどれくらいの人が車内で特急券を買うのかは分からない。ご丁寧に、特急停車駅のホームには、指定席特急券の自動券売機が設置されているので、JRとしても利用者ができるだけ追加料金を払わなくてもいいようにという配慮はしている。だが、こうなると、そもそも指定席って何なの?という疑問が浮かんでくることは避けられない。何日も前から座席を確保しておくから指定席の価値があるのであって、乗車の数分前に指定席券を買うなら、自由席とほとんど変わらないからである。しかも、繰り返すが、立ち席になっても指定席料金だ。
 指定席の意味として一番分かりやすいのは、列車があまりにも混んでいるために、事前に座席を確保し、確実に座っていけるようにして欲しい、という要望に応えた、と考えることだ。それでも、指定席車両が一定数設定されていれば、自由席車両の連結を妨げるものではないが、常に混雑が激しくて、その要望がどんどん強くなった場合、最終的に「全車指定席」に行き着くことはあり得ることである。だが、今のJRには、ごく一部期間の一部列車以外、そのような現状は存在しない。繁忙期だけ、土日だけ全車指定席という方法もある。
 国鉄時代、特急列車は全車指定席が基本であった。1960年代半ばまでは「特急列車の自由席」という概念は存在しなかったのである。特急列車に自由席車が存在することが珍しくなくなったのは、1972年に「エル特急(L特急)」が登場してからである。「エル特急」とは何か?詳細な説明は煩瑣となるのでしないが、「頻発、同一分の発車、自由席車あり」が「エル特急」三原則とも言うべきものだ。例えば、仙台→上野のエル特急「ひばり」は、1日13往復、6:20から18:20まで毎時20分発、自由席車3両連結(1編成12両)であった。同じ東北本線でも、運転時間(=距離)の長い「はつかり」(青森~上野、5往復)や「やまびこ」(盛岡~上野、4往復)はエル特急化されていないので、全車指定席である(以上1974年7月の『時刻表』による)。あらゆる特急列車がほぼ「エル特急」化し、わざわざ「エル特急」を名乗る必要がなくなったからか、「エル特急」という呼称は昨年春に廃止された。
 つまり、国鉄において「特急」はお金持ちや特別な場合しか乗れない特権的な優等列車であって、そこに通勤列車のような立ちんぼの乗客がいては雰囲気を乱す、従って全車指定席が当然だ、ということだったのだ。それが、生活水準の向上、経済至上主義と共に大衆化し、優等列車としての地位が低下したことを象徴するのが自由席車両の連結だったのである。現在、特急に次ぐ「急行」というのはほぼ存在しないが、国鉄時代から、特急券は指定席料金込みが基本で、自由席に乗車の場合は相応額を割り引くのに対し、急行券は自由席が基本で、指定席を利用する際は指定席券を別途購入となっているのは、そのような事情をよく物語る。
 以上のような「全車指定席」事情を考えてみても、「あずさ」「かいじ」の全車指定席化は不自然だ。混雑がひどいとも見えず、優等列車化回帰を目指しているということもないからである。だから、中央本線特急の全車指定席化は、実質的な値上げであり、上に書いたような特別な料金体系を設定したことは、見方によっては値下げにも見える上、制度を複雑にした方が利用者を煙に巻きやすいからだ、ということになる。
 必ずしも全車指定席の敷居の高さ、不自由さに嫌気がさしたからというのではないのだが、1本早い仙石東北ラインに乗れば、新宿から各駅停車を使っても最終バスに間に合うことに気付いた私は、結局「全車指定席」特急列車様のお世話にはならずに済んだのであった。