戦争の教訓(浅はかな民意が軍と政府を支えた)

 昨日は終戦記念日であった。実家に戻っていたので、今日になってしまったが、いろいろと気になることがあるので、少し長い一文(になるだろう)を書こうと思う。
 戦後74年を経て、記憶の風化、継承の困難ということがよく言われる。近年、おそらく、あらゆる報道においてそのことが話題の中心になっている。直接戦争を体験した人の話には、間違いなく大きな力がある。だが、体験者がいなくなることで戦争の教訓を学ぶことができないとすることは、文献学としての「歴史」を学ぶことの可能性を否定することになる。
 人が本当に歴史から何かを学ぶことができるかどうかはともかく、学ぶことができると信じることは必要だ。そして、何事においても斜に構えてしか物事を見ることができない私は、残り少なくなった体験者によるお話を、実はかなり否定的な思いで見ているのである。なぜなら、その体験が、ほとんど「戦争がいかに悲惨なものであるか」というだけだからだ。「戦争は悲惨だ」という感懐は、確かに「戦争をしてはいけない」という思いを生むが、戦争はある日突然「戦争をしよう」と言って始まるものではなく、複雑で長いプロセスの上で余儀なくされるものである以上、それが実際に戦争を止める力を持つことはない、私はそう考えている。今年2月の記事に引用した浅川先生の見解(→こちら)を借りれば、「戦争は悲惨だ」という認識は、「戦争はいけない→今は平和でよかった」という認識までしか到達しない。
 明治以降の日本の戦争史を眺める時、私はそれらの原因を「軍部の暴走」であるとか、後にA級戦犯として処刑される人達による「間違った指導」であるとは考えない。人間というものの性質に根ざすあまりにも多くの原因が複雑に絡み合って戦争は起こり、続けられている。更に言えば、「軍部の暴走」にしても「間違った指導」にしても、背後に多くの国民の支持があってそれらが大きな力を持ち得たし、ブレーキがかからなかったと思っている。なぜ日本が戦争をするのかということを冷静に考えず、勝てば熱狂して日の丸を振る、自分たちが正義の味方であり、特別な存在だということに陶酔して我を忘れる、景気のいい話、自分に都合のいい話が大好きであるために、政府の宣伝の是非を考えず情報を鵜呑みにする、何も考えず、周りの様子を窺いながらそれに合わせる・・・こんな国民の姿を探すことは難しくない。いやむしろ、それ以外の理知的、批判的、主体的な国民の姿などほとんど探すことができない。
 8月12日にNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道」を見た。番組制作上の問題があり、あれこれと疑問も残る番組ではあったが、なぜ大正デモクラシーの時代からわずか10年で、厳しい言論統制の時代に陥ってしまったのかという問題意識は貴重である。
 番組の中で、1932年に五・一五事件が起こり、首相・犬養毅が暗殺された時、犯行に関わった軍人たちについて助命嘆願運動が起こった場面は印象的だった。中でも、小学生による手紙は、背後に軍を支持し、日本の大陸進出に熱狂し、それを子どもにすり込んでいく多くの大人の存在を感じさせて、やるせない気持ちになった。番組では右翼的な新聞「日本」だけが取り上げられていたが、朝日でも毎日でも、戦争に対して非常に肯定的な記事を載せていたことは周知のことであり、それが購読者数を意識してのものであることもつとに指摘されている(私自身は史料に基づく確認をしていないが、おそらく正しいだろう)。翼賛的な記事を書けば新聞は売れ、批判的記事を書けば読者が離れる。今も昔も同様に、メディアも人々の意識を離れては存在できない。
 戦前の憲法が、天皇主権の「大日本帝国憲法」であったことは、国民が責任逃れをするためには好都合だった。しかし、仮に当時、現在と同じ民主的なシステム(男女平等な完全普通選挙、法律を超える絶対者の不在)が機能していたとしても、国民の多くは戦争を支持し、日本は戦争を起こしていたに違いない。政府は決して民意に反して暴走し、無理に戦争を始めたわけではないのである。(続く)