暮らしの中の栄養学・・・ラボ第19回

 一昨日は、ラボ・トーク・セッションの第19回であった。この極めて個人的でささやかで、それでいて話者・聴者ともに質だけは高いと自負する(笑)イベントも、ふと気が付けば、ほぼ2ヶ月に1度のペースで丸3年を経過し、今回から4年目に入った。すごいことのように思う(→第1回の記事)。
 さて、今回の講師は食品栄養学の専門家であるが、諸般の事情により、肩書きや名前は書かないことにする。演題は「暮らしの中の栄養学」。栄養学とは何か、ということから始まって、戦後の日本人の栄養摂取状況や、食事摂取基準の歴史といったものを、きっちり1時間でコンパクトに話していただいた。
 ラボでは、基本的に紙の資料が配付されない。今回を含む19回で、資料が配られたのはなんとびっくり、今年2月のたった1回だけだ。講師の話の巧みさや、スクリーンに映し出される映像のおかげで、一応それでなんとかなっていたのだが、今回は少し辛かった。 「栄養」は目に見えない。スクリーン上も文字ばかりだ。話は理解できるし、納得もするのだが、話の進行に従って、後から後から話が見えなくなっていって、脳内で再構成できない。メモも追いつかない。最近は、脳の劣化のせいで短期記憶が頗る怪しいので、そのことも大きく影響しているのだろう。
 子どもの汗にはあまりナトリウムが含まれず、汗が塩っぽくなるのは発汗機能の劣化による、栄養の摂取基準が法律によって定められている国というのは珍しい、この20年で、若者を中心に、カロリー摂取量もタンパク質摂取量(=豊かさの指標らしい)も相当減少した、などなど、印象的だった話が断片としてだけ脳内に留まっている。
 簡単なものでいいから、やっぱりレジメはあった方がいいな。
 ところで、今回は話題が話題だったので、県内各地から栄養士の方々が多く参加してくれて、いつになく新鮮な顔ぶれでのラボになった。講演後の懇親会の時、私はずけずけと次のようなことを彼女たちに言った。
「栄養士だから栄養の話を聞きに来るというのは、それはそれでいいのですが、それだけだと間違いですよ。ラボはまったく無秩序に、いろいろな分野の専門家を招いています。自分の知らない分野で、興味を持ったことのない分野だけど、ラボでやるから行ってみようか、そうして思ってもみなかった発見をする、というのがいいんじゃないですか。おそらくそれは、一人の社会人や親としてだけではなく、栄養士としてもメリットになると思いますよ。」
 幸い、「あんた何言ってるの?」みたいな顔をする人はおらず、とりあえずは同調してくれる。果たして、10月はどんな顔ぶれになるのだろうか?