高校野球とスマホ

 プロ野球ペナントレース終盤。高校野球は、甲子園大会が終わったと思ったら、もうU-18の世界大会をやっている。すぐに気になるのは、彼らの授業ってどうなっているんだろう?ということだ。
 そもそも、少なくとも日本では夏休みが終わる(東北・北海道なら間違いなく終わっている)この時期に、どうして高校生の世界大会なんかやっているのかな?いや、欧米のスケジュールに合わせれば今、というのは分かるが、なぜそこに日本も参加しなければならないのかな?と考えて、さほど時間を費やすまでもなく、もうかるからだ、もしくはもうけるためだ、と思い至った。
 私は部活動に冷たい人間である。いや、そう言っては語弊がある。私が冷たいのは、大人がやらせる部活動である。高校生が勝手に好きなことをやっている分には、過熱があったとしても私は寛容。ところが、大人が自分たちのために、さも高校生のためにやっているかのようなふりをしながら部活をさせることに否定的なのである(→参考記事)。
 高校野球はもうかる。ましてそれが、ドラフト会議の話と直結するとなればなおさらだ。見ている側は面白がる。それ以上のこと、すなわち、高校生とは、部活動とはどうあるべきかなどという面倒なことは考えない。そこにマスコミが飛びつき、その他の業界が群がる。
 そんなことを考えていて、最近の「球数制限」のことが思い浮かんだ。球数制限で問題となるのは、試合における投球だけである。練習で何球投げた、という話は聞いたことがない。そして、よくよく考えてみれば、最近それが問題となるのは、そもそも試合の数が増えたからではないのか?
 神谷先生(→こちら)の解説を待つまでもなく、試合数の増加と大人の介入は表裏一体である。高校生が自分たちで勝手に野球をやり、おおっぴらに授業を休んで野球をすることもできなければ、試合数などそうそう増えるものではない。したがって、球数制限にも神経質になる必要がない。
 こう考えてきて、ふと頭に浮かんだのは、一見何の関係もないスマホだ。というのも、子どもが勝手にスマホを購入して使っているということはなく、保護者が買い与えているからだ。そしてそれを子どもが濫用した結果、中毒化して勉強が手につかなかったり、犯罪に巻き込まれたり、自分が加害者になったりという実に多くの問題が発生し、教員を始めとする大人が、その後始末に振り回され、徒労感を感じるということになっている。
 つまり、高校野球にしてもスマホにしても、大人が自分たちの利益のために高校生に与え、それによって問題が発生して、その問題の解決のためにエネルギーを費やさざるを得ない、という構図が同じなのだ。しかも、エネルギーを費やさざるを得ないのは、「加害者」である大人自身だけではないところが腹立たしい。
 更に言えば、高校生との関係だけではなく、新たな技術を開発し、それに人間が翻弄されるという事例は少なくない。これははたして「仕方がない」問題なのだろうか?U-18に参加しているような目立つ高校生にこそ、「授業はサボってもいい」ではなく、高校生のあり方としての模範を見せてほしいものである。