読売からスイス大使!!

 今朝の毎日新聞で、読売新聞グループの会長がスイス大使に起用されることが決まった、ということを知った。これは、私にとって驚きである。マスメディア、特に新聞やテレビというのは、権力を監視し、健全な民主主義を機能させることを本分としている、と思っているからである。その代表者が国家権力の一端、しかも外交使節として、一国内でとは言え日本を代表する立場に就くというのは変な話である。
 奇しくも私は先日、愛知トリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」の中止をめぐって、朝日と読売の報道のあり方を比較し、読売を批判した(→こちら)。その時にも少し触れたことだが、安倍政権になってからというもの、新聞による報道姿勢の違いが非常に鮮明になっていて、全国三紙に限ってみると、読売の政権寄り姿勢は目に余るものになっている。「表現の不自由展・その後」の報道に関する問題は、その一部に過ぎない。
 今回のスイス大使人事を見ると、どうしても論功行賞のように思える。更に言えば、懐柔策のようにも・・・。
 職場に着いてから、朝日新聞を開いてみれば、毎日に比べると大きく取り扱っていいる。その中で、メディア法の専門家・田島泰彦氏の「メディアは権力から距離を保つことに敏感であるべきだ。」「権力を監視する側から、すぐさま権力側のプレーヤーに転身すると、市民のメディア不信を招きかねない」という意見を紹介する。その通りだと思う。
 だが、後者のような事態が起きるくらいなら、世の中は十分に健全である。むしろ、世の中の圧倒的多数の人が、「権力を監視する側から、すぐさま権力側のプレーヤーに転身する」ことにまったく問題を感じないことが困るのであり、怖いのだ。
 朝日によれば、17年前に朝日新聞出身で東大教授だった石弘之氏という前例があるらしいが、石氏に与えられたポストは書いていない(別途調べれば、ザンビア大使らしい)。石氏がマスメディアを離れ、東大教授だったのは6年間だ。さて、これを同列に「前例」と考えていいかどうか?
 私が思うのは、少なくとも、今だったら、朝日や毎日から外交使節を任命することはないのではないか?ということだ。権力が暴走する時には、強力な宣伝機関が重要な役割を果たす。権力が何を宣伝機関とするか、どのように宣伝機関を作り出していくか、私たちはそのことを注視している必要がある。