演奏よりも解説?・・・今年は父

 昨日は、仙台フィルの第330回定期演奏会に行った。指揮者はなんとバッハ・コレギウム・ジャパンの総帥である鈴木雅明氏。昨年9月の定期演奏会は、そのご子息・鈴木優人氏が指揮者だったから(→その時の感想)、仙台フィルも面白いことをするものだ。曲目は、ブラームス「悲劇的序曲」、ハイドン交響曲第104番「ロンドン」、メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」。
 学生時代に所属していた合唱団に、通奏低音パートのオルガンを弾きに来てくれたりしていたこともあって、接する機会の非常に多かった音楽家なのだが、バッハ、ヘンデル、ブクステフーデを演奏するのしか聴いたことがない(→例えば =意外にも記事が一つしか見当たらない)。もしかすると、チェンバロのリサイタルでフローベルガーなど、その他若干の作品を弾くのを聴いたことがあるかも知れないが、記憶が定かでない。いずれにしても、バロック期の作品ばかりだ。その鈴木氏が、古典派はともかく、ロマン派の作品まで演奏するとは知らなかった。
 調べてみれば、バルトークやストラビンスキーを演奏した記録や、録音を見つけることはできるが、ごくごくわずかである。確かに、氏はもともと東京芸大作曲科の出身で、現代音楽の泰斗・矢代秋雄の弟子なのだから、それらを演奏することに何ら不思議はないのだが、私自身が驚くほどに、「鈴木雅明=バッハ」のイメージは強固である。
 鈴木氏は御年65歳。指揮者としてはまだ「老」大家とは言いにくいし、「かくしゃくとした」という形容を使うことが許されるのかどうか微妙な年齢である。しかし、その指揮ぶりは、20代の指揮者と全く変わることなく激しい。オーケストラと全身で格闘する様はびっくり、である。何歳であったとしても、「かくしゃくとした」など使っている場合ではない。 
 ただし、演奏については7月の下野竜也指揮「我が祖国」(→こちら)と同じ感想を持った。とにかく、最初から最後までひたすら一生懸命なのである。音楽というのは、緊張と弛緩の繰り返しによって感情を動かす芸術であると思う。いくら「ひたむき」「熱演」とは言っても、緊張ばかりが延々と続くのはいかがなものか。昨年のご子息の演奏の方がしなやかで、緊張-弛緩のメリハリがよくついていたと思う。
 もちろん、弛緩だけの音楽が延々と続くよりはよほどいいし、曲は私も好きな名曲揃いで、十分満足して帰って来たのだが、少しだけそんなもやもやが残っている。
 そうそう、プレトークブラームスハイドンメンデルスゾーンの関連性についての解説だったのだが、いかにも古楽演奏家らしい博学で面白かった。かつて氏のバッハ「ブランデンブルグ協奏曲」に関するレクチャーを聴いた時のことを思い出した。いつもはプレトークなんか興醒めだから止めて、演奏に専念してくれたらいいのに、と思っている私が、1時間くらい話してくれたらいいのに、と思った。申し訳ないけれど、演奏そのものよりも価値があるかも知れない。