幻の新関温泉(資料1)

 7月に「幻の新関温泉」という記事を4回連載した。新関(にいぜき)温泉とは、明治から大正にかけてわずか10年ほどだけ宮城県側の蔵王に存在した、正に「幻」の温泉である。とは言え、実は私が書いた部分というのはごくわずかで、仙台一高山の会の志鎌良一さんという方が調べ、書いた文章を転載した部分がほとんどである。

 それから2ヶ月、補足的に、原史料として最も重要なものを(承諾を得て)紹介しておくことにする。『新関温泉小誌』という私家版で、山形の新関家にあったもののコピーを、志鎌さん経由で入手したものである。本来、こんなブログではなく、ホームページに貼り付けるのがいいようなものだが、あいにく適当なホームページがない上、インターネットの検索機能をもってすれば、ブログでもホームページでも、容易にたどり着けるということで、あえてここに掲載することにした。

 原本にはおびただしいルビが付けられていて、その読み方には独特のものもあるが、このブログでルビを振ることは難しい。明治らしい当て字に慣れれば、読む=意味を取ることがさほど難しいものではないので、ルビなしとする。冒頭の「謹告 云々」は、もともとどこかに広告として掲載されたものかも知れない。また、これはもともと縦書きのものを横書きにしているので、本文中の「右」は「上」、「左」は「下」を意味する。


『新関温泉小誌』
(明治44年2月印刷 印刷者 五十嵐幸吉  印刷所 八文字や印刷部・山形活版社)

謹告  新発見の新関温泉

 温泉の医治的効能あること、茲に弊閣の喋々を俟たずして、諸君既に御存知の事です。新たに発見したる新関温泉は、其の効力頗る重視する価値を抱って居ります。故に、世間の病者或は身体の虚弱い人々は一度御求浴の上、如何に効験の著しきかを御試し玉はらんことを希ひます。
 それに当温泉場は土地高燥海抜五千尺の仙境にして、随て空気も清く、温泉は世に珍しき霊泉にして、多くの医師に見放されたる難病者も、僅の時日で全癒した例が少くありません。而して四方の景色は頗る結構なるもので、千丈瀑、五色瀑、石喰瀑等の三大瀑布を始として、其他無数の瀑布を一望すべく、西方僅かに三十丁にして刈田岳、熊野岳、五色岳の三霊山に指るべく、亦眼前僅々三丁にして世に膾炙さる賽の河原に達し、運動場に適し(賽の河原の一部当温泉場の借地)、是より近くしては遠刈田温泉場を始め、阿武隈川の長流を眺望するを得べく、遠くしては金華山島は巍峨として雲霞に聳へ、亦三景の一なる松島の八百八島は点々として、恰も湖上水離の浮遊するを見るの感あらしめ、汽船は遥かに黒煙を吐き、潮を漲って東奔西走するを歴々眼下に点綴し、眼に触るる処一として絶景ならざるはなし。故に、附近なる峨々、青根、遠刈田等の各温泉場の浴客は、皆な瓢を提げて杖を曳く勝地です。殊に新に建築中の客室は悉く落成し、亦貧困者の為には慈善的宿舎の設備もあり、日用品を始め諸種の必需品は悉く実費を以て御用便に供するの準備を整へ居るを以て、浴客は毫も日常の不便を感ずる事なく、朝夕には新関牧場にて搾取せる新鮮濃厚なる牛乳を飲用するの便あり。而して新関温泉は山形市より五里、遠刈田温泉より二里半、即ち五色岳の麓字新関と称する土地であります。

宮城県刈田郡遠刈田郵便局配達区内
柴田郡川崎村字新関一番地
五色閣 新関温泉場 帳場 謹白


新関温泉小誌

 抑々、温泉の効能は全く其中に含む所の諸成分に由ると雖ども、亦此一点にのみ帰す可きものにあらず。土地の高低、気候の寒温、近囲の風景、浴場の陋美、食物の良悪等は皆、奏功の如何に関係を有すれば、若し其詳細を知らんとする病浴客は、須らく良医の指揮に従て澡浴するを良とす。況んや鑛泉浴療の目的は、重に慢性諸病に応用するにあれば、假令軽微なりと雖ども、之を急性諸病に濫用す可らず。亦其応用法の如きも泉質の異同強弱、疾病の種類軽重等に因て差異あるものなれば、固より一定の渠規を以て覇絆す可らずと雖ども、通常心得となるべき用件を左に摘載す。
(平居注:用件第一~第八は温泉についての一般論なので省略)

分析試験報告
山形市肴町  依頼人 新関善次郎

一温泉  一種
理化学的試験成績
本泉は無色透明にして鉄の味ひを帯び、空気に接触せしめ放置すれば、赤褐色の沈垽を析出す。而して其湧出口に於ける泉温は摂氏五十七度を保ち、酸性にして、比重1.003を有せり。
分析試験成績
蒸発残渣     3.616
硫酸亜酸化鉄   0.339
硫酸酸化鉄    0.425
硫酸カルシウム  0.8659
硫酸ナトリウム  0.303
塩化カリウム   0.0457
塩化ナトリウム  0.5484
無水硅酸     0.5886
硫酸マグネシウム 0.0107
硫酸アルミニウム 0.1604
以上、各成分数量は、本泉千立方センチメートル中に含有せる「グラム」を以て表示す。右報告候也。
明治42年11月7日
山形市立病院済生館  調剤長 大江 平助

・慢性気管支カタル ・喘息 ・肋膜諸病 ・神経痛 ・常習便秘 ・慢性胃腸カタル ・胃弱 ・胃酸過多症 ・消化不良 ・痔疾 ・肝臓病 ・黄疸 ・萎縮腎 ・糖尿病 ・慢性腎臓病 ・子宮内膜炎 ・子宮実質炎 ・子宮周囲炎 ・白帯下その他の子宮病 ・貧血諸病 ・萎黄病 ・腺病 ・脾疳 ・病後その他の衰弱症 ・筋肉リュウマチス ・関節リュウマチス ・疥癬 ・頑癬 ・皮膚病一切 ・その他諸黴毒 ・眼病一切
右諸病に効験あるものと認む。
明治42年11月7日
山形市立病院済生館院長  医学士 友田 保登

(続く)