単純平易の恐ろしさ

 今日は娘とアニエス・ルテステュのバレエを見に、多賀城まで行った。2013年に引退したパリ・オペラ座のエトワールである。その世界においては神のような存在であるが、なぜかこの東北の田舎町で「変貌する美」と題した公演を行ったのである(日本で3公演のみ。多賀城以外は、これまたなぜか札幌と岐阜)。共演者としてヴァンサン・シャイエ(男)、エドナ・ステルン(ピアノ)。
 チケットは、勤務先でもらった。なんでも、フランス大使館からある人を通じて大量に届いたのだという。ダンス部や吹奏楽部などの生徒にも呼びかけが行われたが、なぜか引退した3年生が数名しか来ず、塩釜高校のために用意されたほぼ2列の席はがら空きだった。もったいない。通常の練習優先だとしたら、いったい何を考えているのだろう?
 実は、私はバレエと言えば、オーケストラ伴奏によるバレエ団の公演、例えば「ジゼル」とか「ライモンダ」とか「くるみ割り人形」とかしか見たことがなく、1台のピアノ伴奏による、いわば独演会といったようなステージには接したことがなかった。出演者は超一流だし、シンプルなステージはむしろ美しいのではないかと想像した。娘が、一度バレエを見てみたいと言っていたこともあったので、組合の会議をサボって、期待満々行くことにした。
 バレエというのは、なかなかハードな肉体労働だと知っていたので、たった2人で1時間半とか2時間とかのステージをどのように構成するのだろう?と興味を持っていたところ、バレエの場面そのものの時間はさほど長くなく、一つ一つの場面の間にピアノソロが入る。いや、バレエよりもピアノソロの時間の方が長かったので、ピアノリサイタルに変化を持たせるため、バレエが挿入されているという感じでさえあった。途中休憩のない75分間のプログラムは、冗長な感じが一切なく、すっきりとしていた。
 バレエは言うに及ばず、より重要だった気がするピアノも上手だった。演奏したのは以下の曲である。

独奏:バッハ 平均律曲集第1巻 第1番の前奏曲
バレエ:ガルッピ クラヴィーア・ソナタ ハ短調
独奏:ベートーヴェン ロンド・ア・カプリッチョ ト長調「失くした小銭への怒り」

バレエ:バッハ 平均律曲集第1巻 第2番の前奏曲
独奏:ショパン バラード第1番
バレエ:ショパン ノクターン 変ニ長調
独奏:ドビュッシー亜麻色の髪の乙女」&「月の光」
バレエ:ハチャトゥリアン「仮面舞踏会」より
独奏:スクリャービン エチュード 変ロ短調
バレエ:マルク=オリヴィエ・デュパン天井桟敷の人々」より
独奏:ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ
バレエ:ドビュッシー「ゴリウォッグのケーク・ウォーク」

 特によかったのはドビュッシー、次がショパン(バラード)かな。田舎公演であるため、道具であるピアノは最良のものではなく、楽器の質に起因する音質の悪さはあったものの、演奏の質を前にしては些細なことである。気持ちのよい音楽に浸ることができた。
 恐ろしいと思ったのは、冒頭のバッハである。ハ長調の曲で、転調しながら分散和音をただ並べていくだけの単純極まりない曲である。楽譜どおりに鍵盤を押さえるだけなら、私にでも容易。実際、自宅ではよく弾いている。ところが、音の粒を揃え、美しく弾くのは非常に大変なのだ。そのことが、今日の名手による演奏でも感じられた。どうしても粒がそろい切れていない感じがする。演奏者による表情付けというのではなく、立ち上がりだったから、というわけでもないだろう。単純平易はごまかしがきかない。