相変わらずもやもや

 我が家では、ほぼ当初の予想どおり、台風によるダメージはほとんどなかった。風雨はそれなりに激しかったが、その音で眠れないということはなかった。しかし、朝起きてみると、眼下に広がる南浜町(建設中の復興祈念公園)が海のようになっていた。防潮堤の向こうで砕ける波しぶきの大きさも、まだ昨日と同じである。
 テレビをつけてみれば、東日本の多くの地域で被害が出ているようだ。私も買い物に出てみると、何ヶ所か冠水している箇所があった。こうなると、温暖化による可能性が高い自然災害は、太平洋戦争当時の空襲みたいなものである。日本では多くの町が空襲の被害に遭いながら、それでもなかなか終戦を決断できず、決断には沖縄での地上戦を経て、2発の原爆を待たねばならなかった。ようやく終戦を決断した時には、国土全体がボロボロの状態。正に「刀折れ矢尽き」た状態であった。ここでようやく、人は正気に戻る。あ~あ、今回もまた、何の反省もなく(もしくは反省の前提となる関連づけが出来ず)、同じことを繰り返すんだろうなぁ。

 ところで、昨日、新人大会から帰宅すると、居間のテーブルの上に置いてあった「石巻かほく」第1面の「石巻・大川小訴訟2審判決確定 市・県の上告棄却 最高裁、学校の過失認定」という巨大な文字が目に飛び込んできた。マジか?最高裁の判断ずいぶん早いな、というのが最初の印象。「石巻かほく」を手に取れば、その下にあった毎日新聞にも河北新報にも、やはり第1面トップに同じような見出しが躍っている。
 私も大川小学校で教え子を1人亡くした。弟を迎えに行って巻き込まれたのである。同じ年頃の子どもを持つ身としての同情というものもある。しかし、それはそれ、これはこれ。この裁判には決して好意的ではない(→参考記事)。
 判決にも批判的だ。自然災害時の学校の責任を重く見るのは、命を守るという観点から見ると一見正しいようにも見える。しかし、災害への備えは必ず平時の行動を縛る。現に、今の世の中では、もしもまた津波が来たら、という想定の下で、巨大な防潮堤を作って海の景色を見えなくし、伝承や追悼のための施設を後から後から作って、後世へ経済的な負担を残している。重い責任を負えば負うほど、ただでさえも忙しく、実質的な自由が少ない学校はますます窮屈になって、それが平時の教育をやせ細らせる。それが裁判所に分かっているのかな・・・?
 新聞を読んで、石巻市長と県知事の談話にも違和感を持った。どちらも、仙台高裁の判決に問題を感じたから上告したはずなのに、最高裁の判決が出ると、あまりにも素直に頭を下げている。最高裁の判断は最高裁の判断であって、それが永遠不変の「真実」というわけではない。判決に従って賠償金支払いの手続きを進めるのは当然として、責任の認定については、自分たちの考えに自信があるなら、もう少し不服そうな顔をしてもよかろうに、いや、そうして欲しいと思った。或いは、判決には100%の恭順を示すのが、「公」の立場というものなのだろうか?
 最高裁の判断は「上告棄却」なので、確定したのは仙台高裁の判決である。賠償金は14億3610万円。原告1軒あたり約7300万円だ。これについても上でリンクを張った過去の記事で触れたが、私は原告にとってもこれが禍根となることを心配する。一般の人々がそれをどのように理解するかということもあるし、今回、原告団に参加していない遺族にとって、それをどのよう見えるだろう?ということもある。
 政治意識が低く、税金の使い道というものに鈍感な日本人であればこそ、波風も立たないようにも思うが、いずれトラブルの原因になるような気もする。
 いずれにせよ、胸中複雑ですっきりしない。