「フラの歴史」または「人文知の価値」・・・ラボ第20回

 昨日は「ラボ・トーク・セッション」の第20回であった。講師は石巻専修大学助教の目黒志帆美氏、演題は「フラの歴史から浮きあがるアメリカの姿」。なにしろ、社会人生活を経て大学院に進まれた方なので、大学院を出てから4年というイメージの「若さ」ではないものの、新進気鋭の学者と言ってよい。2015年東北大学総長賞、日本比較文化学会奨励賞、2018年日本国際比較学会第8回平野健一郎賞といった受賞歴に、そのことはよく表れている。
 「フラダンス」という言葉は甚だ有名で、日本国内に200万人以上の愛好者がいるらしい。どうやら、これが落とし穴。名前を聞く機会が多いというだけで、人は分かったような気になってしまうのである。ところが、目黒先生によれば、19世紀にわずか80年あまり存在したハワイ王国、あるいはフラの歴史を研究している人は、世界的にも希少で、分からないことだらけと言ってもよい状態なのだそうな・・・。
 そもそも、現在、福島県の某観光施設で催されているようなフラが、ハワイの伝統的芸能だと思うこと自体が間違いらしい。お話の冒頭で映された動画=男性による古典的なフラは、私の持っているフラのイメージとはあまりにも異なるものであった(ニュージーランドラグビーチームが試合の前に踊っているハカが、そのイメージに近い)。
 では、いつ、どうしてフラが変質したのか?お話の中心はその点にあった。
 先生によれば、転換点となったのは1870年代の10年間、ハワイ王国がカラカウアという王によって統治されていた時期である。カラカウアは、アメリカ人が多く入り込み、それによって持ち込まれた病気等で先住民であったハワイアンが激減したことや、アメリカ人による圧力によって、ハワイ王国存続に対する危機感を持った。その際、ナショナリズム高揚を目的とした行事の開催と、欧化政策による近代化の主張を行った。そして、前者が古典フラの復興に、後者が西洋的な新しいフラの創造に結びつく。太鼓とチャントのみによる古典的フラに対し、新しいフラは西洋から持ち込まれたウクレレやギターといった楽器をも用いた。現在、私たちがごく当たり前にフラだと思っているものは、実は、その西洋的な新しいフラに過ぎないのである。
 1893年にハワイ王国が倒され、1898年にはそれがアメリカに併合される。ハワイはアメリカの軍事基地として重要な役割を果たすようになり、多くの軍人が住むようになった。彼らの娯楽として、フラはよりいっそう官能性を強める。本来国王の物語を伝え、威厳をアピールするためのものであったフラは、娯楽商品に成り下がってしまったのである。
 確かに、演題にあるとおり、フラの歴史的変化にはアメリカが大きく関わり、その変化を通してアメリカの姿が見えてくる。なかなかに意表を突く話の多い、刺激的なお話であった。
 ところで、先生は最後に、歴史学を含む人文学分野を軽視し、実学を重視する傾向が強い日本の状況を指摘した上で、歴史学は本当に役に立たないのか?それを含む人文知は必要ないのか?という問題提起をされた。おそらく、これは先生にとって非常に重要な問題意識なのだろう。
 舞台裏を明かすようで申し訳ないのだが、事前に一度、私はこの問題について先生とメールでやり取りをした。いや、「やり取り」は正しくない。先生の問題提起に対して、私が一方的に私見を述べただけである。私見とは次のようなものだ。
「私も、一応歴史学(中国近代)が専門で、若い頃は、その無用性に多少なりとも肩身が狭いような思いを感じておりました。年を取るに従い、歴史学の知識そのものが直接役には立たないにしても、それを研究する過程で必要とされる批判的知性(定説を疑い、実地調査と論理によって真実を探し出す力)とでも言うべきものが、健全な民主主義社会を作る上で大切な能力であり、それを養うために歴史学というフィールドを使っているのだ、と考えるようになっています。」
 同時に私は、かつて天文学者の小久保英一郎氏にお会いした際に、「天文学やって何になるんですか?」という生徒の無邪気な質問に対し、氏が述べていた「人間にとって、知りたいと思うのは本能であり、知ることによって心が豊かになる。これは十分役に立っていると言えるし、その意味で天文学実学だ」という答えをも思い出す(→その時の記事)。
 確かに、日頃の高校の授業でもそうなのだが、生徒が「こんな勉強して何になるの?」と言うのは、授業や勉強の内容がつまらなくて、苦行となっている時だけである。面白いと思っている時にそんな問いは出て来ない。
 人間には恐ろしく多様な個性がある。いくら機械工学や農学が実学として大切だと言っても、適性を無視してそれらを学ばせたところで、ろくな結果にはならない。多様性を確保することの象徴としても、人文学の存在を保証していく必要はありそうだ。
 話が、ラボと関係するようなしないようなところへと流れてしまった。元に戻そう。
 フラ関係の縁もあって、前回に続き今回もまた、初めてラボに参加された方が多かった。前回、栄養学の縁で参加された方は、残念ながら1人も来ていない(→参考=前回の記事)。興味のあることだから来るのではなく、知らない世界を知るために、興味のない時こそ来て欲しい、とはいつも訴えていること。ま、主催者としては、全員が常連さんになってマンネリの雰囲気が生じるのも困るので、こんな状態が新鮮でいいのかも知れないのだが・・・。今回の新顔さんは、次回来てくれるだろうか?・・・