戦争から環境へ

 昨秋、大阪から亡父の友人夫妻が私の母の所に遊びに来た。もちろん、私も幼い頃から知っている、世話になった方である。母の他、宮城県在住の旧友と松島に泊まるというので、学校帰りに表敬訪問した。その際、吉田裕『日本軍兵士』(中公新書、2017年)という本をいただいた(つもりでいた)。そうしたところ、今夏の初め頃、「いつまでたってもあの本を返してくれない」と言っているという噂が聞こえてきた。私は、その時初めて「いただいた」のではなかったことに気付いたが、直接「返せ」と言われたわけでもないため、その後またずるずると無為に時間が過ぎていった。最近また、同様の話が聞こえてきたので、申し訳なさも手伝い、昨日、少し長いお手紙と共に本を返送した。この1~2ヶ月にブログに書いたことの寄せ集めみたいな文章なのだが、それだけに「まとめ」としての役割を果たすかも知れない。公開しておく。


 拝啓
 秋の深まりを感じる日々、皆様ますますお元気でお過ごしのことと存じます。
 長くご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。おかげさまで、我が家も皆つつがなく過ごしております。
 さて、中公新書『日本軍兵士』ですが、厚かましくもいただいたものと思い、いずれ何かの折に引用することもあろうかと、我が家の書架に置いてありました。本当に申し訳ありません。
 日本軍(特に陸軍)の内部がめちゃくちゃであり、多くの兵士が戦闘行為そのものではなく、劣悪な生活環境や物的条件によって病餓死していたことは、この本以前から知っていたつもりでしたが、軍内部の問題も含めて、これほど詳細かつ徹底的にそのことだけを追求した本を読むと、その悲惨さが改めて胸に迫り、暗澹たる気持ちになります。
 中3になった娘が、市の使節として、今夏広島を訪ねました。原爆のおかげで戦争を早く終わらせることができ、戦死者も少なくて済んだというアメリカ側の意見を取り上げ、それでも原爆という悲惨な兵器を使うことは許されない、とレポートを書いたのを読み、私は次のような指摘をしました。「生きるか死ぬかという極限状況の中で、原爆は悲惨だから使ってはいけない、というのはただの感情論であり、アメリカに対して説得力は持たない。戦争は一度始まってしまえば、どんな不条理、どんな悲劇の発生をも止めることは出来ない。だとすれば、原爆を使っていいかどうかという議論は意味をなさない。ただ戦争が起こらないようにするしかないのだよ」と。
 安倍政権はいかにも危険です。しかし、実際に日本が再び戦争を始める可能性があるかというと、私には見当が付きません。今の私にとって、戦争よりももっと切実なのは、温暖化による気象災害であり、やがて起こってくるであろう食糧危機です。
 近年、頻繁に繰り返される気象災害は、戦時中の空襲とよく似ています。これだけ温暖化に起因すると思われる気象災害が頻発していながら、世の中はあまりにもぜいたくな生活を反省することなく、いまだに経済成長を求め、、自家用車や飛行機を制限しようという話にはなりません。実に不思議です。全国の各都市が空襲の被害を受けながら、なおも無理矢理戦争を遂行しようとした昔の姿と重なります。原爆が投下されて敗戦を受け入れ、国全体がボロボロになって初めて、人々はそれまでの自分たちの愚かさに目を向け始めました。温暖化も、今程度の被害ではまだ気付くことが出来ず、おそらく日本人の2割、3割が死ぬほどの被害を受けてから、「あの時~した(しなかった)のは失敗だった」と、後悔を始めるのでしょうか。
 昭和の歴史において戦争があまりにも大きな出来事であったために、戦争をしないことが平和であることとイコールであると思っている人がたくさんいるような気がしてなりません。戦争の教訓は一般化し、他の現象にもスライドさせて考えなければならないと思います。それが今の私の問題意識です。
 もう少しまとまった感想を書こうと思いつつ、話がそれてしまいました。勉強の機会を与えてくださいましたことに感謝します。お返しするのが遅れましたこと、重ねてお詫びいたします。
 くれぐれもお元気でお過ごしください。また、宮城へも是非お出掛けくださいますように。ご家族の皆様にもよろしくお伝えください。
敬白