USJには行かないんですかっ!?

(10月30日付け「学年だより№24」より ②)

 先週の金曜日だったか、廊下で私は突然3名の女子生徒に取り囲まれた。たいそうご立腹である。

Q「せんせっ!修学旅行についてのプリント見ましたよ。USJには行かないんですか?」
A「普通科は今から考える要素が多いから、絶対に行かないとは言えないけど、同じプリントに書いておいた『基本的考え方』(→下に注)や『旅行の目的』(同)からすると、行かない可能性が高いだろうねぇ。」
Q「せんせいっ!ダメですよ。2年生だって行くんですよね。私たちもUSJ行きましょうよ。楽しみにしてるんですから・・・。」
A「先生たちの中にもある程度考え方の違いがあると思うので、いま私があれこれ言うのは止めておこう。必要あれば、そのうち他の先生と話し合った上で、全体に説明するよ。」

 とまあ、権限を持たない学年主任の私としては、あまり勝手なことも言えないので、どこかの議会のような不明瞭答弁をしたのであるが、そのことはさておき、こうして文句を言われたことは、実はとても嬉しいことだった。
 日頃、授業に行くと、教室は常に静かである。悪いことではないが、素晴らしい!とも言えない。なぜなら、無反応だと授業の内容が分かっているのかいないのかも分からないし、主体的であるべき「学び」が受動的になっている、あるいは、ただ脳が全然動いていないだけの可能性も高いからだ。
 先生の言うことであろうと、親の言うことであろうと、「本当かな?」と常に疑い、「自分ならどう考えるかな?」と考えていることは、頭を使うことの基本である。そして、頭が動いていていれば、疑問(質問)や意見は必ず生まれてくる。
 修学旅行についても、USJに関する質問(苦情)があるのは予想していたし、他にももっと文句や質問が出るものと思っていた。ところが、月曜日に、親が来校しなかった諸君にプリントを配っても無反応。「この人たち本当に大丈夫かな?」と不安になるほどだ。そしてようやく、週末になって上のような反応が1件。たかだか1件とは言え、ゼロよりはよほどいい。「ああ、ちゃんと生きている生徒がいる!」。それが私の実感である。

 

(注)
「基本的考え方」
旅行が簡単にできる時代である。生徒が「行きたい」と思う所は、高校卒業後でも自分で行けばいい。だから、私たちがやるべきことは、生徒が行きたいと思う場所に連れて行くことではなく、行きたいと思っていなかったが、行ってみたら感動した、勉強になったという体験をさせることだと考える。(4月26日付け「学年だより№3」掲載の学年PTA報告より)
「実施の目的」
① 文化的に異なる場所や価値ある歴史的建造物を見ることで視野を広げる。
② 集団で旅行することを通して、生徒相互の親睦を深め、高校生活の思い出を作るとともに、協調性を高める。