石巻でも水害!!

 週末たびに雨が降っていたから、今日からの3連休、予報が3日とも「晴れ」だというのは、なんだか新鮮な感じがする。山は紅葉の季節でもあるし、どうせ家族は遊んでくれないし、以前からの懸案だった「六十里越え」(山形県)でも歩きに行こうかなぁ、と思っていたのだが、大雨の被災地でボランティアの募集が続いているのを新聞で見ていると、何とも後ろめたい気持ちになってくるので止めた。
 当然、家で何かをしていても、その後ろめたさからは解放されないので、3連休のうちの1日はボランティアに行くことにした。驚いたことに、我が石巻でも床上浸水した家屋というのが相当数あるらしい。大変お恥ずかしいことに、私はそのことをつい2~3日前に知った。いや、これは多分「お恥ずかしい」ことではない。私がうかつなのではなく、報道が悪いのだ。丸森や大郷、鹿島台といった地域のことばかり報道し、石巻に言及することはほとんどなかった。
 地球温暖化の一つの表れとして、昨今の豪雨災害はある。そう思っている私にとって、現在、私が出来る最大のボランティア(?)は、二酸化炭素の排出量をできる限り抑えることである。どこかで何かがあるたびに、全国から自家用車でボランティアに馳せ参じるのは、とても正気の沙汰とは思えない。私がボランティアに行くとしたら、公共交通機関利用が前提。だが、そうすると、なかなか足を運ぶのは難しい。石巻市内だったら、自転車ででもたいていは行ける。
 新聞に連絡先として書かれている社会福祉協議会に電話をすると、我が家から自転車で10分の集合場所に行けば、そこから派遣先までは社協の車でまとめて連れて行ってくれるという。よし、これなら私の思想に反しない範囲だ、と思って、今日1日をボランティアに費やすことにした。
 ワゴン車に7人乗って行ったのは、午前が河南町須江、午後が河北町中島。
 1軒目は、水没した家の中から、処分する家財を運び出す作業。ただし、その作業が終わった後、大きな2軒の納屋からも物の運び出しをしたのだが、これは私にとって相当なストレスだった。なぜなら、その納屋というのが、極端なまでに老朽化している上、中にあった物品も、20年か30年手を触れたことがないといった体の物であって、水害からの復旧とかいうよりは、水害にかこつけて、それよりはるかに前から懸案だったゴミ処理を手伝わされたとしか思えなかったからである。
 昼食休憩の後に行った家では、敷地内に流れ込んできた土砂を重機でかき集めてできた山(直径5m、高さ1mくらい)を、別の所に移すという作業に取り組んだ。こちらは、午前からいた人も含めて20人くらいだったのだが、集まっていた車は12台である。つまり、私たち以外のほとんどの人が、1人1台で県内各地から来ていた。1人だけだが、県外(札幌!)からの人もいる。私には全く理解できない感覚である。
 水分を多量に含み、自分の重さで固まっていった土砂(粘土に近い。崩すのにつるはしが必要)を移動させる作業は本当に大変だ。途中、誰かが、「重機だったら、30分ちょっとあれば終わっちゃ。重機をレンタルするお金カンパした方がいいんじゃねぇ?」と言っていた。
 私はこの作業にさほど不満はない。私が日頃言っているように、温暖化を食い止めようと思えば、動力に頼っていた作業を人力に移していくしかない。なんだか、そのシミュレーションをしているような気分だったのだ。確かに、土砂を移動させるという作業はこれほど大変。だが、重機の力を借りて、それがさも容易で些細な作業であるかのように思うのこそ倒錯、誤解である。その誤解の上に立って、明けても暮れても巨大土木工事をしているのは異常なのである。人間は、原点を絶えず意識しているべきだと思う。
 作業のキリのいい所まで、と、当初の予定を30分ほどオーバーして、15時半に作業は終わった。「人の役に立てた」というよりは、「いい人間観察をし、思索が出来た」というのが実感。内容や目的にかかわらず、終わってみれば、体を動かしたことの爽快感もあった。