見えると安心、仙台のED75

 ちょっとした用事があって、午後、仙台に行っていた。
 東仙台駅と仙台駅の間には車両基地がある。正式にはJR東日本仙台車両センターと言うらしい。元々「鉄男」であった私は、車両基地が大好きなのだが、最近は、新幹線と普通列車だけという単純化によって、その魅力は著しく小さくなった。昔は、様々な形状の特急、急行車両を含め、列車のバラエティーが今の数倍はあった。それでも、私がこの車両基地の横を通る時、熱心に眺めるのは、ある車両を探すからである。それはED75という電気機関車だ。
 ED75という交流用電気機関車は、私が幼少期には、電気機関車と言えばED75というほどありふれたものだった。少し濁った赤一色、ずんぐりしていて、お世辞にも格好いいとは言えない。雑誌か何かで見る青と白のツートンカラー、直流用のスマートなEF65と比べては、身近な機関車の不格好を嘆いたものだった。
 ところが、機関車が牽引する列車が少なくなると、機関車だというだけで燦然とした価値を帯びるように思われてくる。もっとも、貨物列車用にはEH500(通称:金太郎)という2両合体式(正式名称不知。2両が常にセットで運転される)の強力機が、20年ほど前に開発・投入され、ED75は活躍の場を失った。
 私は動力集中式、つまり機関車が車両を引っ張る形の列車が大好きである(→参考記事)。JRがそれを廃止し、ディーゼルカーや電車という動力分散式列車だけにしてしまったことは、新幹線とともに、日本の鉄道をどうしようもないほど魅力のないものにした要因である、と思っている。単に見た目の問題ではない。集中式は、乗り心地がとてもよく、なぜか風情もあるのだ。分散式は、ただ運転効率だけを追求したという冷たさを感じる。本当に残念だ。
 今や、集中式は貨物列車だけ。貨物列車が走っているのを見ていて、ああ、集中式は格好いいなぁ、と思う時、実は、私の心の中に強者が弱者を引っ張る、専制とか独裁とかいうものに対する潜在的な渇望があるのではないかと思って、ぎょっとしたりもするが、ともかく、私は機関車の引く列車が大好きなのである。
 仙台にはもう一箇所、東仙台駅岩切駅の間に、仙台総合鉄道部という機関車だけの基地がある。こちらはJR貨物の施設で、EH500とDE10がいつも何両か停まっている。機関車だけの基地なので、それらはよく見える。
 一方、車両センターは、停まっている列車の大半が電車である。だから、その陰になって、ED75を見つけるのがなかなか大変なのだ。昔、主力であったという懐かしさと、この見えにくさとによって、総合鉄道部の横はなんとなく眺めながら通り過ぎるだけなのに対して、車両センターではかなり意識してED75を探すという習慣が付いてしまった。
 で、今日、なぜこんな文章を書き始めたかというと、本当に久しぶりで2台のED75を見ることができたからである。WikipediaでED75を引くと、仙台には3両あることになっているのだが、同時に3両を見たことがある記憶はない。仙台のED75がどのような使われ方をしているのか、私は知らない。なぜ、貨物列車牽引機としてJR貨物が引き取らなかったのか、JR東日本が手放さなかったのかも知らない。だが、いつもお召し列車でも牽引する準備がしてあるかのようにピカピカできれいだ。今日もだった。ああ、大切に扱われているな、元気にしているな、という何とも言えない安心感がこみ上げてくる。しかし、ED75が存在しているからと言って、客車列車が復活する可能性があるわけではない、ということを思うと寂しい。
 ED75を、私はいつまでも見ることができるのだろうか?