「夢」は何ですか?

(12月9日付け「学年だより№29」より①)

 2年生の修学旅行もあっと言う間に終わり、また「日常」が戻って来た。2週間あまり前、№27で、塩釜神社で最も紅葉の遅い七曲り坂下り口のモミジが間もなく盛り、ということを書いた。ところが、「間もなく」は意外に長く、結局、盛りになったのは先週末。今でもまだ「盛り」のうち、という感じだ。毎年熱心に観察しているはずなのに、昨年もこうだっけ・・・?記憶はとてもいい加減。あるいは老化というやつだろうか・・・(涙)。

【いろいろ学べたライフプランセミナー】

 先週の1学年は「行事Week」だった。火曜日の「ライフプランセミナー」は、講演中の態度も立派なら、終了後の感想を書く時も立派だった。諸君がずいぶんまじめに感想を書いていたことに、多くの先生方が驚いていた。この生真面目さは美徳だ。せっかくなので、感想の幾つかを紹介しよう。これで復習も兼ねられる。

 

・先のことを考えて選択、行動することの重要さを、改めて知ることができた。そして何事の基礎にも勉強というものがあり、将来の選択や可能性が増えていくことが分かり、モチベーションアップにつながったと思う。
・私は多分、今、人生の選択肢がとても狭いと思います。その理由としては、私は勉強をしていないからです。私は勉強が嫌いです。しかし、後悔するのも嫌いです。大人になった時に後悔しないように、嫌でも勉強しようと思いました。将来成功するためには、経験を積む、とにかくやってみる(失敗を恐れない)ということを学んだので、これからは迷ったら何事にもチャレンジしてみようと思いました。
・私は、先のことを考えている方だと思ったのですが、今回話を聞いて、自分が考えていた先のことは本当に小さなものだったなぁ、と思いました。「人生は選択の結果」「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」という言葉は、正にその通りだと思いました。自分が良い人生を歩めるように、未来と自分を変えて、頑張っていこうと思いました。
(平居コメント:進路とか結婚とかだけが「選択」ではない。どんな生き方をするか、一瞬一瞬が選択の連続だ。「他人と過去~」は、カナダ人医師エリック・バーンの有名な言葉。)
・お金がたくさんあって、何不自由ない生活は、もちろん幸せだと思うけど、それだけにとらわれた生活になってしまうのでは?と思いました。お金がなくて苦労していても、幸せなことはたくさんあると思うし、先を考えずに今に全てを賭けて破綻したとしても、私はそんな生き方も素敵だと思います。将来の夢とか価値観は人それぞれだから、1人1人が自分のやりたいようにやって、それで幸せならそれでいい、と思いました。
・自分の未来予想図はある程度描かれていたが、今日の講演で現実を突きつけられていたな、と思ったし、人生そんな簡単にいかないんだ、と思った。
・今の私たちにできるのは、勉強と親への感謝だと思います。大学進学を快く賛成してくれた親のためにも、もっと勉強すべきだと思いました。
・大人は言います。「良い大学に入って良い所に就職して、経済的に安定させろ」と。お金は大切です。だけど、私はどんなにお金がなくても、好きな仕事に就いて、夢のあることをしたい。お金で動く人間にはなりたくないし、人生何があるか分からないから楽しいのだろう、と思う。私は今、将来のために何ができるか考え、夢の糧を作りたい。

 

 「夢は何?」で例とされたのは、「ベンツを買う」「海外旅行に行く」など、お金で解決するものばかりだった。経済計画が主題の講演だから仕方がないのだが、「夢」ってそういうものなのかな?それらが手に入れば人間って幸せになれるのかな?との違和感が強かった。
 やりがいのある職業に就くこと、素敵な恋人を見つけ、円満な家庭を持つことなどなど、お金とあまり関係のない所にも、幸不幸を分ける鍵はあるような気がする。また、同じ条件で生活していても、その生活にどんな意味を見出すか、どんな意識で生きるかによって、幸せにも不幸にもなる。勉強だけでなく、生きる上で常に問われてくるのは主体性だ。
 更に言えば、「食べられることが当たり前」という今の私たちの生活は、人間の歴史の中では例外。私は、それがそういつまでも続くわけがないと思っている。「食べられることが当たり前」という前提で「夢」を探すことは、果たして正しいのだろうか?なんとかしてみんなが食べられる状態を維持する、それが人間にとっての大きな大きな「夢」だという時代が、そう遠くない将来必ずやって来る。生き方や職業を考える上で、そのことは意識していた方がいいと思うよ。