おい、そこが分岐点だよ

(12月12日付け「学年だより№30」より)

(冒頭に12月6日付け河北新報コラム「河北春秋」貼付)

 先週の水曜日、アフガニスタンで現地の人々の生活支援をしていた医師・中村哲氏が殺された。特別な地位を持っているわけでもない個人の死が、これほど大きく報道されるのは珍しい。確かに大きな存在だった。約16500ヘクタールの土地を灌漑し、65万人の生活を支えられるようにした、というのは、想像を絶する偉業だ。
 政治的には無色透明。「夢」を問われれば、「少しでも多くの人が、3度のご飯を食べられて、家族一緒に生活できるようにすること」(←前回の「学年だより」と関係するね)と答えていた。そんな人でも恨みを買い、殺される。理屈というものが通用しない人の世の難しさを思う。哀しい。
 さて、殺される心配も、食べられない心配もほとんどしていない私たちは、果たして「自然と人、人と人の和解を探る」(貼付したコラムに引用された中村氏の言葉)努力をしているだろうか?それをする以外に「われわれが生き延びる道はない」と中村氏は言う。「われわれ」はアフガニスタン人だけを指すわけではないようだ。 合掌。

【おっと・・・そここそが分岐点だょ!!】

 1学年全クラスで、「新聞アンケート」というのに協力してもらった(回答348名)。最近、新聞というものの存在感が極端に低下していると感じられることの多い中、それが若者の日本語の読み書き能力(=思考力)の低下と関係ないのかどうか、私たち(1学年国語科)が考える材料にしたい、と思っての調査であった。今回は、1点についてのみ触れる。

Q4 「学年だより」の裏面に印刷してある新聞記事を読みますか?
 いつも読む(8.6%) 時々読む(51.4%)    =肯定的60%
 ほとんど読まない(28.2%) 読まない(11.8%)=否定的40%

 読む人がゼロならさすがに寂しいが、そうでなければこの数字はどうでもいい(←理由は後日解説)。問題はQ4-2として自由記述で書いてもらったそれらの理由だ。少しだけ紹介する。

〈読む〉・今まで興味を感じなかった分野にも面白味を見出せるようになった。
・普段読むジャンルでなかったり、私の読む情報にないものの場合が多いため、読んでいて楽しいと思う。
・先生の選ぶのは考えさせられる内容が多いため、自分の考えを深めるチャンスになる。
〈中間〉・見出しを見て、興味があれば読むし、興味がなければ読まない。
〈読まない〉・興味がない  ・字が小さくて多い  ・難しい  ・面倒くさい

 何が違うか分かるよね?
 読む人にあって読まない人にないものは、「開かれた心」と「能動性」だ。
 興味があるものだけを読んでいたら、得られるものは自分の「興味」の範囲に止まる。とりあえず読んでみる。何が面白いのかせっせと探す。これが自分を少しずつ大きくできる人の頭の使い方である。正しいのは「興味があるから読む」ではなく、「読んでみた結果、興味が持てた(or持てなかった)」なのだ。この違いが、やがて大きな実力差を生む。結局のところ、「学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない」に行き着く。