国家予算を見ながら思う

 一昨日、来年度の予算案が閣議決定された。しょせん「閣議決定」に過ぎないのだが、それが「決定」とほとんど、いや、すっかり同じ意味を持つのが最近の日本だ。
 総額は「102兆円」という数字が新聞各紙に踊っていたが、正確には102.66兆円なので、四捨五入すると103兆円だ。税収は、過去最大とは言え63.5兆円。国債発行額は32.5兆円である。社会保障費は約36兆円、防衛費は5.3兆円などと聞いていると、「102」「63」「36」「32」「5」といった数字にだまされて、意外に小さな金額に見えたりするが、どうしてどうして。1万円を1万倍して、やっと1億円。それを更に1万倍したのが1兆円である。そう考えてみると、「兆」というのが、いかに現実離れした大きな単位であるかがよく分かる。防衛費の「5兆3133億円」だって、十分に天文学的数字だ。
 どうしてこのように異常な国家予算が組まれるのか、どうしてこんなお金の使い方をして、国がおかしくならないのかは、興味深い問題である。私は、日本の経済政策というか、政治そのものが素晴らしいからだと思う(←もちろん皮肉です)。以下、経済の基本もよく分かっているとは言えない私の妄言。
 まず、天文学的な額の国債は、その多くを日銀が買っている。日銀は、国債を買わなければ使わないようなお金でそれを買っているわけだから、普通に考えれば、自分のところで印刷したお金を、そのまま市場にばらまいているのと同じである。だとすれば、国内の通貨流通量が急速に増えて、「ハイパーインフレ」とまでは言わなくとも、かなり深刻なインフレに陥るのが当然である。ところが、驚くべきことに、2%というインフレ率さえ「達成困難」などと言っている。なぜ、こんなことになるのか?
 それは、多くの国民が将来に不安を感じると同時に、希薄な人間関係の中で、信頼できるものがお金しかないため、いくらお金が手に入っても消費には慎重で、貯蓄に回すからである。
 つまり、国債を大量に発行してお金をばらまけば、国民は喜び、政府の評判はよくなる。しかし、国民はお金が手に入ることを喜ぶだけで、それを使う勇気はないので、貯蓄に回す。よって、インフレは起こらないどころか、極めて抑制的に経済は機能する。しかも、政府が言うとおり、国債を買っている人(機関)の大半が日本人なので、日本国内に通貨が流出するのとほぼ同じだけ日本人の所持金が回収されるので、その点でもインフレは起こりにくい。国債を買っている日本人は、国債の価値が下がるようなことはできないので、国債を買い続けるしかない。だから、政府が破産する可能性は低い。評判を高めた政府も喜ぶ、使いもしないくせに、お金がたくさん手に入る国民も喜ぶ、それでいて経済はほどほどに回る。何という素晴らしい経済政策だろう!!
 だけど、立ち止まって少し冷静に考えてみると、やっぱりなんだか変だ。お金が大量に動いているのに、その割に機能していない。最後はため込むものになってしまう。それは国民だけではない。悪名高き企業の内部留保だって、将来への不安が大きくて使うに使えないお金、という点で、国民の貯蓄と同じなのである。
 国家予算全体がマネーゲームに見える。それでいて、やっていることは、防衛であれ景気対策であれ、環境悪化を促進するようなことばかりなのだから手に負えない。政府は、国民が将来に不安を感じていて、大胆なお金の使い方ができないことをよくわきまえ、当分の間、堂々と今のような垂れ流し財政を続けるだろう。この行く先がどうなるのか?・・・私には分からない。ただ、生きていくために必要なものを生産し、お互いの過不足を補い合いながら生活を成り立たせるという、経済活動の原点から外れた事態は、決していい結果には至らない、それだけは間違いないだろう。