仕事です

 明日から新学期。今日は久しぶりで学校に行った。なんと16日ぶりである。「お前は年末に遊び歩いておったくせに、年始も遊んでおったのか!」と怒られそうであるが、心配はご無用。学校に行っていなかっただけで、4日の御用始めからお仕事はしていたのである。
 1月4〜5日は、高体連登山専門部の冬山顧問研修会であった(→昨年の記事)。栃木県の那須で例の事故があって以来、「各学校から原則として1名以上必ず参加するように」という厳しいお達しが出るようになった。
 昨年は、長野県や山形県から高校山岳部指導や雪氷学の専門家が講師として来県し、宮城県教育庁の偉い人やマスコミも見に来て、宮城蔵王ロイヤルホテルという私たち「山屋」には分不相応に立派なホテルを会場に行われたのに、一転今年は、県外講師はゼロ、教育官僚やマスコミもゼロ、会場は青根というひなびた、と言うより、うらぶれた温泉の一番古い旅館の自炊部屋であった。参加者は5人くらい減ったかな?去年と今年のこの違いが何を意味するかについての考察は、賢明なる読者にお任せする。来年は、テント泊になるに違いない。
 加えて、昨年の日向ぼっこのできそうな好天とは打って変わって、今年は弱いとは言え吹雪。座学が中心だった1日目はよかったが、えぼしスキー場を会場に行われた2日目はなかなか大変だった。しかも、特にビーコンによる埋没者捜索の実習など、順番なので待ち時間が長い。がたがたと震え、足踏みをし、鼻水を垂らしながら長い一日を過ごした。
 午後、ビーコン実習の待ち時間に、私がうっかり「こんなこと、仕事だと思うとやってらんないねぇ」と口にしたところ、隣にいたI先生が「え!?私にとっては仕事ですよ。仕事じゃなければやってられませんよ」と言った。私は意表を突かれた。確かにそうだ。
 もう10年ほど前の話である。K先生という方と、たった2名の山岳部員を引率して、夏山合宿として朝日連峰に行った。泡滝ダムから入って、朝日連峰を縦走し、朝日鉱泉に下山するという山中(稜線)2泊のルートである。歩き始めて間もなく、K先生が、「ああ、今日からやっと夏休みだ!」と言うのを聞いて、私は仰天してしまった。
 私はもともと山登りが好きで、けっこう幼い時期から1人で山の中を歩き回っていた。25年ほど前に山岳部の顧問になったのも、そういう自分の趣味と経歴とがあったからである。しかし、趣味は趣味、仕事は仕事である。山岳部の顧問として生徒を引率している限り、私が仕事だという意識から逃れられた時間は1秒もない。どんなに生徒が元気で、登山道に危険がなく、天気がよかったとしても、である。私はK先生を心底うらやましいと思った。そして、「すごい余裕ですねぇ。私は、この合宿が終わったら夏休みだ!と思っていましたけど・・・」と返した。1昨日のえぼしスキー場におけるI先生との会話は、そんな過去の出来事を思い出させた。
 恥ずかしながら、我が塩釜高校山岳部には今や生徒がいない。開店休業状態である。休部、もしくは廃部の危機が着々と近づいている。私が雪崩対策に関わる様々な技術を学んだところで、それを今の勤務先で役立たせるチャンスはないだろう。いや、私の学校だけではない。那須の事故以来、高校生を積雪期の山に連れて行くことについては、有形無形様々なプレッシャーがあるため、多くの学校では面倒を避け、里山やゲレンデスキーでお茶を濁しているのが現状だ。
 まぁ、他校はともかく、私について言えば、そのような所属校の実情を踏まえ、「今回は不参加」と突っぱねてしまうことも、難しいことではなかった。にもかかわらず私があえて行ったのは、仮に廃部となって山岳部顧問の地位を失ったとしても、異動の可能性もあり、個人的に山に行く機会もあるわけだし、冬山にも入るので、それに関する様々な知識・技術について専門家の指導を受けておくことは無駄ではない、と思ったからである
 つまり、確かに学校に出張伺いを出して、校務として派遣されてはいるものの、生徒を連れていないこともあって、意識としては仕事のような仕事ではないような、実に曖昧模糊とした状態だった。それが、上のような発言(嘆息)として表れたのだ。公私の線引きは案外難しい。
 と言うわけで、学校に行った今日は、今年の勤務3日目。もちろん、例によって塩釜神社経由で行くのである。初詣客を迎えるための設備は、多くがそのままになっていて、正月の賑わいが想像できた。いつもは門前で一礼して通り過ぎるが、今年初めての塩釜神社ということで、今日は本殿の前まで行き、賽銭を投じてご挨拶もした。12月21日まで葉が落ちきらずにいた七曲坂下り口のモミジは、さすがに裸になっていた。