教員の働き方改革

 四国で運動不足になった上、寒くなってから夜のジョギングをサボりがちで、体の動きはいまひとつパッとしない。1月2日に東北本線館腰駅近くにある実家から、五社山、外山を往復(2時間半近くかかった)したらすっかりバテてしまい、少し哀しい気持ちになった。新学期になって、いつものように毎朝塩釜神社を一回りするようになって、少し回復してきたような気がする。たかだか250段くらいの石段を登る20分あまりの散歩である。ただ、規則正しい、というのと、登るというのが健康にいいようだ。
 先週の土日は、今年になって初めて牧山に走りに行った。冬休み以前と同様、1時間15分で一回りできた。まずまずだ。そう言えば、大門崎の登り口を目指すべく日和大橋に行く途中、南浜復興祈念公園の工事現場を通る。38ヘクタールの広大な素晴らしい緑地公園を我が家のために作ってくれているような場所だが、私は強固な建設反対派であった(→参考記事)。
 しかしながら、国県市が示した公園の青写真の中に、ひとつだけ私が賛成した箇所がある。それは、南浜地区を東西に流れる聖人堀(しょうにんぼり)という水路の蓋を取って、開渠にするというものだ。そして、先週の土曜日に通りかかった時、水路の蓋が全部撤去されていることに気が付いた。
 この水路はこれまでコンクリートの蓋で完全に覆われていて、水を見ることのできる場所なんて一箇所もなかった。しかし私は、蓋を開けたら中から行方不明となっていた人の骨がたくさん見つかり、「こんな所にどこから流れ込んだんだろう!?」と社会が大騒ぎをするだろうと予想していた。自然のすることというのは、常に人間の予想や想像を超えるものだからである。残念ながら、と言うべきか、そんなことは起こらなかったようである。だから、蓋を取って開渠にした時にニュースにならなかったわけだ。のぞき込んでみたが、コンクリート製のただの薄汚い水路である。
 話は変わる。
 教員の残業時間を月45時間、年360時間以内にするということが、中教審の特別部会で指針として了承されたのは先月の初めのことである。つい最近、その決定が、さらに上の段階(具体失念)で了承されたということを耳にした。
 先日、政治的に無色透明なN先生と話をしていたら、「平居先生、残業は月45時間以内にしろ、ということは、45時間まではしろ、ということですかね?その45時間分って、残業代はやっぱり出ないんですよね。なんとかなりませんか?」と言われた。私は今や数少ない労働組合員なのであるが、以前からたびたび言うとおり、給与の引き上げにも、教員に残業手当を出すことについても否定的だ。だから、私はN先生に、「みんなが組合に入らないからそういうことも実現しないんじゃないですか」と言いはしたものの、本心としては、みんなで運動を起こして残業手当が出るようにしよう、とは全然思っていない。
 だいたい、教員の残業なんて時間を計れるわけがない。たしかに、部活や課外で夜まで仕事をしていれば、「残業手当を出せ」とも言いたくなる。しかし、じゃあ国語の教員である私が、教材研究と称して小説を読んでいても、それが学校でなら残業なのか?というようなことを考えると、仕事と仕事でないことの線引きは非常に難しい。
 となると、残業手当を出すのではなく、やはり勤務時間内に自己研鑽に関わる以外の義務的仕事は全部終わらせて、残業ゼロを実現させることの方がまだ現実的だ。
 しかし、そうするためには、学校が勉強の場、仕事の場ではなく、生活の場となっている人々が意識を大変革させる必要がある。それは、日本人の国民性と不可分に結びついていて、変えようと思えば、少なくとも数年間は大きな問題をわんさか引き起こすに違いない。何事も変える時には「過渡期」というものがあって、一時的なトラブルは仕方がない。だが、そのトラブルにみんなが納得して向かい、できるだけ短時間で切り抜けるためには、「過渡期」の先にどのような学校があるのかというビジョンがなければならない。どうも最近の議論を見ていると、最終的に学校をこうしたい、といって変えようとしているのではなく、勤務時間が長すぎるからどこを減らせばいいかな、と、まるで市場で競りでもやっているかのように、相対評価で理念なく仕事の取捨選択をしているように見えて仕方がない。(続く)