何のために学ぶのか?(続)

(1月23日付け「学年だより№35」より②)

【続・何のために学ぶのだろうか・・・?】
 より質の高い「面白さ」が分かるようになるために学ぶ、というのは前回の話(→こちら)。補足的に、もう少し続けて考えてみよう。学ぶ理由は大きく分けて二つ。

「自分のため」:勉強することで少しでもよい地位や収入を得、生活の質を高める。
「社会のため」:立派な主権者になる(よりよい社会作りに貢献する)。

 両方大切なのだが、私は、後者が特に大切だと思っている。みんなが「自分のため」ばかり考えていると、弱肉強食の社会が出来上がってしまうからだ。
 では、なぜ勉強することによって社会的に正しい判断が出来るようになるのか?それは、「正しい」が何かを学ぶからというよりは、勉強すれば世界が広がるからだ。
 例えば、手に持っていたゴミが邪魔なので、道路にポイ捨てする。自分しか見えていない人にとってすっきりさっぱり、悪という意識はない。しかし、それによって不愉快になる人や、自分の代わりに掃除をする人が見えていると、そんなことはできない。つまり、世界が遠くまで見えているほど、他人の利害が見えるので、エゴに基づく「悪」がしにくくなる。だから、人はできるだけ遠くが見られるようにすべきであり、それが「勉強」なのだ。
 なお、ここで言っている「世界」とは、地理的な広がりだけではなく、時間的な広がりをも表す。自分がすることの影響は、後の時代にも及ぶのである。


普通科「社会問題研究」(生徒による)審査結果】
 12月に東キャンパス視聴覚室前に「総合的探求の時間」に社会問題について調べて書いたポスターを掲示し、生徒諸君による審査を行った。私もじっくり見せてもらったが、短い準備時間だったにもかかわらず、力作が多くて感心した。1ヶ月かけて生徒諸君による投票を行ったが、まずは集約の結果・・・。
第1位:4組10班(29票)
第2位:7組1班(24票)
第3位:5組10班(21票)
 なにしろ第4位の班が10票なので、これら3班は突出していた、ということになる。これは、私の評価とすっかり一致するわけではないが、そもそも力作が多いので、どれかを選ぶのは難しかった。私が発表を見た時の観点は次の通り。

1)グループ内での役割分担がよく出来ていて、全体として大きなテーマが追求できているか?
2)よく調べ、内容が充実しているか?
3)人の目を引きつけ、短時間で内容が把握できる表現が工夫されているか?
4)どんな資料を使っているか?

 私が特に関心を持って見ていたのは4である。どんな資料を使うかは、調べる姿勢を反映する。また、何をする時でも資料の信頼性は重要だ。それが信頼に値しなければ、その上に成り立つ分析や思考も、全て信頼に値しないものになるからだ。
 できるだけ楽に速く調べることを考えない方がいい。まずは、必ず複数の目を経ている本や新聞を繰り返し読んで考える。そうして養った目でなければ、ネット情報の信頼性を判断することもできない。
 前回の復習となるが、レベルの高い目に問題点は見えるが、レベルの低い目には問題は見えず、レベルの低さに気付くこともできないのである。

★あと3週間半で定期考査。ビジネス科の諸君はその前に2つの検定試験がある(部活できない!もあとわずか)。がんばってネ。