ぞろ目の演奏会

 いろいろと多事で、なかなか更新できずにいた。多事の中身は、もちろん学校の仕事ではない(笑)。それでも、誘われれば飲みに行くし、音楽も聴きに行く。というわけで、昨日は仙台フィル第333回定期演奏会に行っていた。指揮は角田鋼亮、曲目は藤倉大の「Tocar y Luchar(奏でよ、そして闘え)」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、そして、グラズノフバレエ音楽「四季」。
 今年は、ベートーヴェンの生誕250年で、ベートーヴェン記念企画が目白押し。昨日は、私にとってその第1弾であった。驚くべきことに、高校時代以来約40年、年に10回くらいのペースでオーケストラの演奏会に行き、ベートーヴェンだから行くということはあっても、ベートーヴェンなら行かない、ということはなかったのに、ピアノ協奏曲の第2番の実演に接したのは、おそらく初めてである。3、4、5番なら相当数で、1番でも多分3回以上はあるのに・・・。
 独奏者は、昨年の仙台国際音楽コンクールの覇者チェ・ヒョンロク。ベートーヴェンの第2番というのは、もともと好きな曲ではなく、家で録音を聴くということもほとんどなかったのであるが、今回、少しじっくりと聴いてみて、これはこれでなかなかいい曲だと思った。作曲した時、ベートーヴェンはまだ20歳。いかにもモーツァルトといった感じで、独自の成長を遂げる前だということがよく感じられるのであるが、それでも、随所にベートーヴェンを感じるところが何とも魅力的だ。
 チェ・ヒョンロクの演奏もよかった。韓国生まれの26歳。この若さが、ベートーヴェンの若さとうまく馴染んでいたということもあったのだろう。アンコールには、なんとリストの「ラ・カンパネラ」。若々しく繊細なベートーヴェンと違って、極めて高度なテクニックと豊かなパッション、エネルギーを持つことがよく表れていて圧巻だった。会場は大いに盛り上がった。
 後半はグラズノフ。作曲家として、或いはレニングラード音楽院の院長として高名な割に、その音楽に接する機会は少ない。おそらく、私の音楽体験の中でも、ライブで聴いたことがあるのは、大昔、ミラノのスカラ座で見た(聴いた)バレエ「ライモンダ」だけ。録音とて、ヴァイオリン協奏曲だけだと思う。私は今回、このグラズノフの音楽を楽しみにしていた。
 私のグラズノフに関する印象は、『ショスタコーヴィチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ著。中公文庫=偽書であることが証明されているが、内容的にはあまりおかしいと思えない本)の中に描かれた姿によって作られている。ショスタコーヴィチほど歴史に名前は残していないとはいえ、驚くべき天才の1人であった。ちょっと、その本から引用しておこう。

「(学生にとって印象的だったのは)まず、音感が挙げられる。グラズノフのは、いわゆる間違うことのない絶対音感であった。グラズノフの音感は学生たちをただひたすら恐れさせるばかりだった。(中略)
 学生が試験を受けにやってくる。グラズノフはいつものようにすわっている。ピアノを弾く。まあ、みごとなできばえである。弾いた本人も満足そうにしている。間。すると突然、グラズノフの低いつぶやきが聞こえる。「いったいどうして、2度の5、6の和音と1度4、6の和音のあいだに平行5度を入れたのかね?」。沈黙。
 グラズノフはどんな音の間違いでも、それがどのように弾かれていようとも、申し分なく聞き取ることができた。(中略)
 さらに、グラズノフが私たちを驚かせていたのは、その記憶力である。(中略)
 作曲家セルゲイ・タネーエフがモスクワからペテルブルグにやってきたときのことである。タネーエフは自分の交響曲を発表しようと決心した。タネーエフが自作の交響曲を演奏した家の主人は、若いグラズノフを隣室に隠しておいた。
 タネーエフは演奏を終わり、ピアノの前から立ち上がると、客たちにとりかこまれた。人々が口々に祝辞を述べたのはいうまでもない。そして一家の主人は、儀礼的なお世辞を言った後、不意に付け加えた。「ここで、有能な若い人をあなたにご紹介したいと思います。彼もやはり、つい最近、交響曲を書き上げたのです。」これはどういうことなのか。
 グラズノフが隣室から連れ出された。「サーシャ、自分の交響曲をお客様にお聞かせしなさい。」と主人はグラズノフに言った。グラズノフはピアノに向かい、タネーエフの交響曲を最初から最後まで、再演してみせた。彼はその曲をついいいましがた、しかもドア越しにはじめて聞いたばかりであった。」

 他にも驚くような、興味深い逸話が幾つか書かれているのだが、長くなるので止める。このような音楽的、技術的な能力が、「創作」とどれほどの相関関係を持つのか、私は知らない。しかし、「天才」ショスタコーヴィチが最大級の驚きをもって逸話を伝えるこのような人物が、いったいどのような音楽を作ったのか、それには興味を引かれないわけにはいかない。
 バレエ音楽「四季」は、プレトークで角田氏も言っていたとおり、「冬」から始まるのがユニークである。小曲の寄せ集めであり、巨大な編成で作られたオーケストレーションの妙もあって、最初から最後まで、飽きることなく楽しく聴いた。しかし、指揮者が細かく分かれた曲の合間を、ほぼ均一に処理してしまったこともあって、曲を知らない私は、想像をたくましくして聴いていても、どこが季節の変わり目だったのか、よく分からなかった。
 楽しくはあったけれども、なんとなく得体の知れないもやもやとした気分が残る。やはり、凡人は、解説書を読みながら録音を聴き、曲の構造や聴き所を予めインプットしておくことが必要なようだ。