楽しいというだけで価値あり

(1月31日付け「学年だより№36」より②)

 

【何のために学ぶのか(3)・・・楽しいというだけで価値あり】

 キャンパス集会での校長の話をきっかけに、何のために学ぶのか、ということについて2回に渡って書いたが、どうも話が堅苦しく(←私の性格?)、自分の実感には必ずしも即していないような気がする。では、自分の実感って何?・・・
 机に向かって読み書きすることが勉強であると考えるならば、私は今でも比較的よく勉強している方だと思う(少なくとも諸君の勉強時間よりは相当長い=笑)。では、私が学ぶ目的とは・・・ずばり、単にそのこと自体が楽しいからである。
 月曜日、某先生の自習の時間、7~9組の諸君に「金星探査機あかつき」についてのビデオを見てもらった。重さ500㎏の「あかつき」を飛ばすためには250億円の国費と数十人(関連まで入れると数百人)のスタッフが必要だった。昨年、岐阜県に完成した重力は観測施設KAGURAは165億円。加えて、年間運用経費が5億円近くかかる。しかし、金星の謎が解決しても、資源開発などできるわけもなく、重力波が検出できたとしても、そのデータや知識が売れるわけではない。いわゆる「利益」は得られないのだ。では、それらを何のためにやっているかといえば、宇宙の謎について知りたいという知的欲求を満足させるという以外にはない。日本国民は、そのことに数百億円の価値を認めている、ということである。
 楽しいことについて、人間は「何のためにするの?」とは考えない。おそらく、諸君にとっての授業もそうでしょ?(意味を考えるのはつまらない時だけ)。勉強することの本当の価値というのは、案外そんなところにあるのかも知れない。