佐渡の「英雄」

 先週の水曜日、仙台市内で佐渡裕指揮する兵庫県芸術文化センター管弦楽団の演奏会に行った。平日だし、チケットも少し高価だったのだが、佐渡裕とプログラムの魅力に抗しきれず、のこのこと出て行くことになった。
 プログラムとは、オール・ベートーヴェンである。序曲「コリオラン」とピアノ協奏曲「皇帝」(独奏:ニコライ・ボジャノフ)、そして「英雄」(交響曲第3番)である。中でも「英雄」。
 以前も書いたことがあるが、私は高校時代以来、身近なところで行われるこの曲の演奏会には皆勤賞なのである(それでもせいぜい十数回です)。マーラーの第9番、ブルックナーの第8番、そしてこの「英雄」は、交響曲の歴史における頂点であり、間違いなく人類の財産であると思う。
 ところが、恐るべし「ベートーヴェン生誕250年」。なんと、その「英雄」の演奏会が、1~3月、仙台で毎月1回ずつ3回もあるのである(しかも、3月13日のミュンヘン交響楽団は、今回と全く同じプログラム!!)。どう考えても、時間的、金銭的に無理である。よって、皆勤賞は挫折、今春の「英雄」は今回だけ。
 例によって、3階席の切符を買った。席に着くと間もなく、後ろから「平居先生!」と声を掛けられた。25年ほど前の教え子Mである。ピアノの調律師をしている(ヤマハ所属)。「ボジャノフはおそらく河合のピアノを使うので、勉強に来ました」と言う。へぇ~、調律師ともなると、そういう観点で演奏会に来るんだ?
 佐渡裕は必ずプレトークをするし、彼のトークは結構面白いので、それを見越して、20分前に会場入りした。ところがトークは開演時刻から始まった。その結果として、演奏会がはねたのは21時半。少なくとも、仙台でこんなに遅くまでやるのは記憶にない。
 それはともかく、いい演奏会だったと思う。前回(2015年→その時の記事)、ピアニストまで含めて同じメンバーによる演奏会に行った時には、ピアニストこそ印象に残ったが、オーケストラには主に音色の美しさという点で問題があると思った。しかし、今回はそんなことがなかった。伸び盛りの若手ばかり集めた精鋭オーケストラであると認識を改めた。何しろメンバーの任期が3年と決まっているので、オーケストラの質はある程度変化するに違いなく、この5年の間にも実際に音が変わったのかも知れない。自分のコンディションや席の問題だったかも知れない。
 さて、ボジャノフの「皇帝」は、少し癖が強く、それがベートーヴェンの解釈としていいのか悪いのか、よく分からなかったが、それでも曲の魅力のおかげもあって、十分に楽しむことが出来た。アンコールはR・シュトラウスの歌曲「明日!」(レーガー編曲)。R・シュトラウス大好きな私も、彼の歌曲というのはよく知らない分野で、この曲も知識の範囲にはなかった。知らない曲として聞くと、今時のポピュラー音楽のようだ。ボジャノフは弱音を自己アピールの場と心得て、これ見よがしにねっとりと丁寧に弾く。面白かったが、今日の演奏会でベートーヴェン以外を弾くのはナシだな、とも思った。
 「英雄」は、オーソドックスではあるが、快演。極めつきの優れた曲を、いい演奏で聴くのは快感である。また、いい演奏をしているときのオーケストラというのは、視覚的にも美しい。数十人が一つの楽器として見事に動いている。そのことが、特に3階から見ているとよく分かった。
 佐渡裕の演奏会に足を運んだのは5回目である。テレビでの露出度が高く、一見タレント風であるが、聴衆へのサービス精神だけの指揮者ではない。裏切られることのない指揮者である。日本フィルで初めて佐渡を聴いたときは、ずいぶん下品な棒の振り方をする指揮者だと思ったが、最近はそんなこともない。優れた音楽的創造力を持ちつつ、大衆化に成功しているというのは敬服に値する。
 アンコールは、なんとベートーヴェン交響曲第7番の第4楽章。あの熱狂的なリズムの中で、会場が盛り上がったことは言うまでもない。
 会場を出ると、エントランスの所の柱に、今日のアンコール曲目とともに、ピアニストの使用した楽器が「カワイSK-EX」であることが掲示してあった。Mと連れだって駅へと向かった。