桜を見る会

 石巻の今日の最低気温は-4.7℃、最高気温は-0.1℃。わずかに0.1℃分だけながら真冬日であった。やっと冬だ、という気になる。雪もほんの少しだけ降り、うっすらと白くなった。
 一方で、日はずいぶん長くなった。6時15分過ぎに自宅を出る時には、ライトを付けなくてもいいかな、と思うほど明るい。加えて、1月中にほぼ全ての大学で試験が終わったものだから、朝の電車に乗る客の数がめっきり減った。石巻の次の次、蛇田駅まで空席がある。これなら通勤は全然苦じゃないんだよなぁ、と思う。今から4月に入るまで約2ヶ月、こんな状況が続く。
 世の中は肺炎、肺炎である。私は顔に半分フタをするなんて鬱陶しくて耐えられないし、宮城県ではとりあえず肺炎の脅威なんて感じないので、マスクを付けようなどとは思ったこともない。当然、マスクを買いに行くということもない。同僚によれば、この地域でもマスクは入手困難なのだそうだ。なるほど、そういう心配性が、「また津波が来たらどうする?」と言いながら、巨大な防潮堤を作るわけだな、と納得する。もっとも、津波や肺炎の心配はできるのに、温暖化→気象災害→食糧危機の心配をしないのは、やはり不思議だ。ぜんぜん納得できない。
 国会を見ていると、「桜を見る会」に関する極めて低級な議論に心の底から情けなくなる。
 私がいつも喜んで読んでいる「松尾貴史のちょっと違和感」(毎日新聞日曜版)は、今週の日曜日、例によって実に気持ちのよい書き方がしてあった。

「『まだ桜をやっているのか』と、安倍氏の応援団やネットサポーターが判で押したように言っているが、追求する側は『桜』などどうでもいいのだ。公私混同し、ウソをつき、選挙違反をし、公金流用し、一部の自分に都合の良い人だけを優遇する政権かどうかを検証しようとしているのであって、それは全ての国の運営に関わってくる大問題なのだ。」

 あと数行引用したいところだが、ここで止める。ああ、全くその通りだ、と思う。だが、この問題が始まってから既に1ヶ月以上たち、その間に世論調査も行われたのに、安倍政権の支持率はほんの少ししか下がっていない。その後、肺炎のドタバタが発生し、チャーター機を4機飛ばして、支持率は回復したのではなかろうか?
 私がこの国会論戦(?)を見ていてうんざりするのは、それが国民の質の反映に過ぎないからだ。そして、安倍-菅という悪役たちは、国民の質を知り尽くし、超然としている。多分、彼らは絶対に辞めない。彼らを担いでいる限り、選挙で勝てると見れば、自民党内部からは造反も出ない。こんな政治家の姿を見ていれば、子どもたちがまともに育つわけもない。だが、こんな政治家を支えているのが人の親だとすれば、政権がメチャクチャである以前に、そもそも親の姿を見ている子どもがまともには育たない。鶏と卵のような議論に陥っていく。結局、そこに働いている力は、あらゆる種に永遠の繁栄を許さない「神」によるものであるように思われる。しかも、その種が持っている力と、繁栄する期間は反比例するようだ。自然界を見つめる目で、今の社会を見る。