永遠に遠い南極(2)

 学校長が書く推薦書にも、たくさんの注文(お願い)をした。校長は、「今回で最後ね」とさんざん念を押しながらも、要望をよく聞いてくれた。私がこれだけは必ず書いて欲しい、とお願いしたのは、現行の制度によると、あと8年間常勤で学校にいることが出来る、ということである。定年まで3年であることは年齢を見れば分かる。帰国後5年間の活動計画を提出させるということは、5年以上学校にいることが出来なければ出願資格がない、ということだと思った。年金支給年齢の繰り上げによる再任用(定年延長)は視野に入れてもらわなければ、ということだ。最終的に提出した推薦書を私は読んではいないが、おそらく形式的な美辞麗句に満ちたただの推薦書ではなかったはずである。
 昨年までは、県の担当者から、「起案が通りました」とか「いつ発送します」とか、いちいち校長を通して連絡があったのに、今年はなしのつぶてだった。校長には何度か、本当に推薦を出してもらえるか確認したが、「絶対に大丈夫」の一点張りだった。確かに、却下であれば、その旨言われるはずなので、何の連絡もないということは書類がちゃんと回っているということなのかも知れない。それでも落ち着かない。
 しかも、今年の締め切りは1月7日(火)17:00(必着)で、カレンダーの都合、御用始めが6日(月)だったので、年内に発送しないと間に合わない。私は、昨年度、出願した際に、担当者が「他にも希望者がいないかどうか、年内いっぱい待ってから手続きします」と言っていたことが頭に残っていた。年内いっぱい待つと、多分間に合わない。心配だったので、正月前後に校長に確認したが、やはり校長は「絶対大丈夫」を繰り返した。「県がそんなドジを踏むはずがない」とも言っていた。
 今年は、出願書類が一つ増えただけでなく、選考後のスケジュールが昨年までよりも詳細に発表された。それによれば、第1次選考合格者は2月2日(日)に面接を実施するとある。今年に全てを賭けていた私は、面接を受ける前提で動いた。スケジュールを空けておくのはもちろん、立川駅前のホテルも予約した。インターネット回線(スカイプなど)による面接でもよいとは書いてあるが、「南極」をフルコース体験したいと思っていた私にとって、それはつまらないし、極地研究所を見るチャンスなので、実際に足を運ぶと決めていた。
 1月下旬に書面で通知するという選考結果は、例によってなかなか届かなかった。校長に、県は本当に出願してくれたのだろうか?と尋ね、ついに29日になって、本当に結果通知が来ていないか、再度確認した。さすがの校長も変だと思ったのか、県に問い合わせてみよう、と言ってくれた。
 その日の午後、校長室に呼ばれた。「残念でしたね」と言われ、選考結果の書かれた文書(コピー)を手渡された。県は確かに出願してくれていた。そして、確かに不採用となった。あぁ、終わったな、と思った。
 もちろん、なぜ落ちたかは分からない。仮に極地研に問い合わせて答えてくれたとしても、授業案や活動計画が合格ラインに達していなかった、という回答しかないだろう。だが、やはり年齢の問題は大きいと思う。自分のことを離れて、少し冷静に考えてみれば、南極に行く時点で30歳の教員と58歳の教員が出願した場合、書類の内容に関係なく、30歳の教員を派遣するだろう。それが自然なことだ。出願条件に、年齢に関する記述は一切ないが、もしかすると、45歳とか50歳とかに線を引いて、それを上回る年齢の出願者については書類に目さえ通していないかも知れない。
 仮に、県や校長がもう1回挑戦してもいいよ、と言ってくれたとしても、来年出願し、出発時59歳になる自分に可能性はないと思う。
 一昨年、私が大騒ぎをし、県を説得したことによって、宮城県からも出願の道が開けた。これは間違いなく私の功績だ。その結果として、もしかすると、近い将来、宮城県の県立学校からも南極に行く教員が現れるかも知れない。そのことが宮城県の教育を活性化する(生徒達の知的好奇心を刺激し、広い世界に目を見開かせる)ことになれば、実に喜ばしい。しかし、「しかし」である。おそらく、私はそれを冷静に喜ぶことは出来ない。話を聞きに行こうという気持ちも起きないだろう。
 私が南極という場所を意識するきっかけとなった西堀栄三郎『石場氏を叩けば渡れない』(日本生産性本部、1972年)は、第1話が「若いころの夢はいつか実現する」で、「強い願いを持ちつづけていれば、降ってわいたようにチャンスがやってくるものです。そのとき、取り越し苦労などしないで、躊躇なく勇敢に実行を決心することです。」と書かれている。西堀は、11歳で白瀬矗の講演を聞いて南極への憧れを抱き、53歳でその夢を実現させた。文系に進学することで、一度は南極を完全にあきらめた私の前にも、降ってわいたようなチャンスがやって来たのは確かだ。だが、私の場合、西堀と違ってチャンスはチャンスだけで終わってしまった。私にとって、南極は永遠に遠い場所だったのである。(おしまい)