イスラム世界の香りの文化・・・ラボ第22回

 昨晩は、「ラボ・トーク・セッション」第22回であった(→出発点)。今回の講師は文化人類学者の縄田浩志・秋田大学教授(正式には特別貢献教授!=特に大きな学問的業績を上げてきた教授を、期限付きで特別待遇にするもの)、演題は「イスラーム世界の香りの文化」。なんと、ラボ史上最多、29人の一般参加があった。講師、主催者を入れると33人。これが会場の限界である(超えていたかも)。
 あれあれ、数字が合わないぞ、と言う人は鋭い。ラボの主催者は2人なので、講師を入れて32人。あとの1人は誰なのだ?という話になる。実は、縄田先生のお話の中に出てくる「お香」を実際に焚いて、参加者がその香りを体験できるようにと、横浜ユーラシア文化館の学芸員・竹田多麻子さんが駆けつけて下さったのである。
 現地で使われている本物の香炉を使い、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)、沈香(じんこう)といった『聖書』の中で名前を目にしていた香を焚いて下さる。イスラム圏の旅行体験が人並み以上にはある私も、かいだことがある匂いだな、とは思うことはあったものの、「これが乳香、これが没薬・・・」と意識しながらかいだのは初めてだったような気がする。また、バラ水やアダン(アダン水?)もご披露下さった。
 お香だけではない。縄田先生は、サウジアラビアで購入したアラビア・コーヒーを持参。先生ご指導の下、我が家で作り(「煮出す」という感じ)、ポットに入れて会場に持ち込み、みんなで試飲した。およそ「コーヒー」とは違う飲み物で、お世辞にも美味いとは言えない。よく言えばハーブティー、悪く言えばお薬である。コーヒー豆の焙煎が非常に浅い上、カルダモン、ジンジャー、クローブといった混ぜ物がたくさん入っているからのようだ。
 加えて、これまた縄田先生のお土産「デーツ(ナツメヤシの果実)」。(干し柿+餡子)÷2といった感じで、実に美味!。これで砂糖が一切加えられていないというのは驚きである。
 ともかく、今回のラボは今までにない「体験型」であったことが特徴だった。
 さて、肝心の縄田先生のお話。アラビア半島におけるもてなしの文化には、上のお香、コーヒー、デーツが欠かせないとした上で、お香について、それぞれの性質、使い方から、歴史などに至るまでを説明して下さった。
 先生によれば、高純度のアルコールに香気成分を溶かすことが主流となっている欧米とは違い、イスラム世界には独自の方法論が存在したらしい。おそらく、私だけではなく、参会者の多くが驚いたのは、黒サンゴ、琥珀と巻き貝のフタであろう。深海サンゴの一種である黒サンゴは、高級な数珠の材料になるが、こするといい香りがするらしい(これは実演なし)。琥珀も同様。また、巻き貝のフタというのは、それがお香の原料だというだけでも驚くのに、アラビア世界だけではなく、遠く日本においても、相当昔からお香の定着・安定をもたらす保香剤として用いられ、『徒然草』にさえ言及が見られるという。保香剤として用いられるのが主なので、他の香料と混ぜて使う。
 お香の文化というのは、先生の推論によれば、宗教儀礼とミイラ作りに起源が求められるのではないか、とのことだが、現在では、単にくつろぎ、もてなし、身だしなみといったものだけではなく、「性」との結びつきが非常に深いらしい。全身、もしくは性器に香膏や香油を付け、煙浴(地面に掘った穴で香木を焚いてその上に座り、性器の場所から香をしみこませる)することは、未婚の女性には決して許されないことで、それらは性行為の準備として行われた。朝のうちから煙浴する(or男が女にさせる)ことは、その日の夜に性行為をすることを意味するという。それは、体臭の除去や清潔のためだけではなく、性器の滑りをよくしたり、女性器のしまりをよくする、感染症を予防するといった効果も期待できたようだ。
 イスラム世界という、男女関係に厳しい社会の中で、そのような私生活の最も奥深いところのことまで明らかにするというのは容易なことではない。聞けば、私が「旅人」をしていた1980年代、一般旅行者の入国が最も困難な国のひとつだったサウジアラビアも、昨年の9月から個人の観光ビザが容易に取得できるようになったらしい。イスラム世界も、着実に開かれているということなのだろう。それでも、先生がお香の研究(調査)をされているのは、この20年来のことであって、昨秋以降というようなことではない。ちょっとしたことを聞き出すのにも大きな苦労があったことであろう。結果だけからでは明瞭には見えてこない研究の舞台裏をあれこれと想像しながら、興味津々で聞いた。