富士山の標高はエベレストの2倍

(2月17日付け「学年だより№39」より①)

 

 新型肺炎の勢いが止まらない。発生源とされる中国・武漢は、中国の近代史(日本との関係も)を考える上ではとても重要な町だ。私も、自分の学問との関係で、わずか数日ながら訪ねたことがある。その時世話になった、いまや名前も憶えていない人達のことを、無事でいるだろうかとよく思い出す。
 先週もそうだったが、私は温暖化との関係で、よく自然は強大で、人間は弱小であるということを言う。小さな小さなウィルスに翻弄される国際社会を見ていても、同じことを思う。人間は弱い存在である。自然に対して謙虚であらねば・・・。

 

【3年生合格者報告会】
 就職・進学とりまぜ12名の先輩から、体験と教訓をと聞かせてもらった。「自分は進学だから」とか、「私には大学のことなんか関係ないし・・・」とか言わず、寒い中、まじめに耳を傾けていた諸君は立派である。自分が考えていない進路を選んだ人の話ほど世界を広げてくれるし、どんな生き方の中にも普遍的要素は含まれる。自分の「今の」問題意識との関係で価値を決めつけない姿勢は大切にしてほしいものである。
 会場で言った通り、3年生も立派だった。秋以来、3年生の不勉強を悪く言うことの多かった(←ごめんなさい!)私であるが、あの場に出てくる人達はそれなりだ、ということだ。ぜひ跡を追って欲しい。
 終了後の諸君の感想も(国語の課題より=笑)丁寧で充実したものだったので、その一部を紹介する形で復習に代えよう。
「現在私は思うように成績(勉強や部活の)が上がらないにも関わらず、何の変化もない生活を送っています。先輩達の言葉をキッカケに、まだまだ遠いと思っていた将来のため、今の自分に変化を与えたいと思うことが出来ました。」
「今のところ○○系を考えている私ですが、もしかしたら急にやりたいことが変わるかも知れないと思うと、やはり今すぐに進路を決めるべきではないと感じました。色々な進路に進む先輩方の話を聞くことができてとても良かったです。私の進路が確定したら、先輩方のように1年生の前で話してみたいと思いました。」
「あいさつがちゃんとできる人、何かを最後までやりとげることができるなど、人として大切な要素を今のうちに身に付けたいです。それから、勉強にもっと取り組みたいと思いました。いつまでも自分に甘くしていたら駄目だ!頑張ろう!そう決めました。」
「どの先輩も言っていることはほとんど同じだったように思えました。“いい評定をキープするために定期考査で高い点数を取る。”“部活を3年間続ける。”“いろいろなオープンキャンパスに参加してみる。”“新聞や本、ニュースによく目を向ける。”といったことでした。」

 

(裏面:2月8日付け朝日新聞・土曜版be「はてなスコープ」欄「富士山の高さ-測量法の歴史とともに変化」を貼付。
平居コメント:ビジネス科の「古典」の授業で、『伊勢物語』の「東下り」を読んだ。そこには、富士山について「比叡山を20くらい積み重ねた高さ」という表現がある。比叡山は848mなので、それからすると、富士山は約17000mで、エベレストの2倍ということになる(笑)。「昔の人はバカだなぁ」ではない。むしろ、高い山と言えば比叡山しか知らない都の人が、富士を見た時の驚きの大きさが伝わってくる表現で、「富士山が3776mであるのは当たり前」となんとなく(=自分で確かめもせずに)信じている現代人としては、その感動の新鮮さに羨ましさを感じるほどだ。
 ところで、山の高さを測るというのは、基準点をどこに置くかという話から始まり、実は意外に難しい。私の手元にはその名もズバリ『山の高さ』という本(鈴木弘道著、日本測量協会刊、1993年)まであって、既に5回くらい読んだのだがよく理解できない。本の書き方が下手なわけではなく、山の高さを測ることの本質的な難しさによるようだ。当たり前は当たり前ではなく、当たり前は努力によって手に入る。富士山の高さについての迷走には、そんなことがよく表れている。)