行き着く先の「一斉休校」

 周知の通り、2月27日の夕方6時に、首相が突然、全国の小中高校の休校要請を出した。「要請」であって「命令」ではないのだから、私の勤務先も含めて多くの県、市町村の学校がまさかそんな強引なことをするわけがない、と一瞬思ったが、いやいや、首相が何も言わなくても「忖度」が起こりがちな昨今である。「要請」は「強い命令」と認識されるに違いない、これはたいへん!と思い直した。
 案の定、翌日(28日)学校に行ってみれば、ごく当たり前のように3月2日から24日までの休校が決まっていた。25日からは春休みなので、「今日」の次に生徒が登校するのは4月8日だという。とりあえず休校期間の24日までは部活も休み、その間に予定されていた練習試合、遠征の類いは全て中止。3月1日の卒業式は体育館で行わず、教室で放送による式辞と送辞・答辞を聞き、担任が証書を渡す、教職員による夜の祝賀会も中止、となった。成績不良生徒の追指導や3月30日の離任式等については今後検討。高校入試だけは予定どおり行う、という。
 なにしろ、校長の権限が確立し、何かにつけて「校長先生のご判断」ということが言われる昨今の学校である。その決定についての異論など出るはずもない。
 あまりにもたいそうな「非常措置」に、私はびっくり仰天だ。昨日、仙台市で感染者が確認されたというニュースが流れたものの、一昨日までの時点では、東北6県で感染者がゼロだった。昨日発表された感染者だって、例のクルーズ船から下船した人らしい。
 あ~あ、遂にここまで来たか、と思った。何が?異常なまでの安全志向が、である。今までにも何かにつけて書いていると思うが、近年、特に学校では「安全」を優先させるあまり、生徒にいろいろなことをさせない傾向が強い。私がかつて勤務していた水産高校などは、海という自然をフィールドとした実習が不可欠なのであるが、その内容は年々「やわ(軟弱)」になっていた。2017年に那須で高校山岳部の生徒が雪崩に巻き込まれるという事件があってから、山岳部の活動も非常に窮屈になった。宮城県では冬山に行くことを全面的に禁ずるわけではないと言いつつ、今や実質的には不可能である。
 「安全」に「絶対」などあり得ない。「絶対」の「安全」を求めれば、教室でひたすら座学をしているしかないのだ。だから、問題は、安全である可能性と危険である可能性、それに活動によって得られるであろう価値を加えて、最善と思われるラインを判断するしかない。判断する上での価値観が、極端なまでに「安全である可能性」に偏っているのが今の学校だ。子どもはひ弱になり、自分を守る知恵を身に付けることもできない。
 学校だけではない。何かの事故があるたびに、「2度とあってはならない」と言いながら、ひたすら萎縮して窮屈な世の中が出来上がっていく。更には、使い捨て容器・器具の氾濫、まだ食べられる食品の廃棄といった容赦のない無駄も同じことである。
 今朝の新聞によれば(つまり昨日までの時点で)、全国の感染者は947人、死者は11人だが、クルーズ船・チャーター機がらみ(検疫官等含む)を除けば、感染者210人、死者5人に過ぎない。人が死んでいるのに「過ぎない」とは何事か!とご立腹の方もいるだろうが、それでも、病気によって人が死ぬというのは常に起こる自然なことである。上の段落と関係するが、今回の大騒ぎによる社会的(経済、教育など)なダメージの大きさと比較すれば、5人でも11人でも「過ぎない」は許されるような気がする。
 とりあえず発表を信じれば(検査態勢が不備で実態が把握できていないというのはさておき)、一昨日から昨日にかけての1日で増えた患者数は11人。確かに、WHOは危険性を「最高」に引き上げたとは言え、患者と同じ空間に少しでもいれば必ず感染するというほどの感染力ではなく、重篤化、死亡と進む確率は更に相当低いように見える。しかも、重症化したり死んだりするのは高齢者と予め病気を抱えている人がほとんどだ。子どもについては感染も重症化も非常に少ない。だとすれば、休校の意図というのは、子どもがウィルスを持ち帰ることで、病人や老人に感染するのを防ぐことなのだろうか?
 今回の措置の科学的根拠の薄弱さは、多くの人によって指摘されている。首相は2月27日に休校を要請した時点で、「最後は政治が全責任を持って判断すべきものと考え」たと語っている。科学者というのは「可能性がある」と言い方しかせず、断定には非常に慎重だ。科学的根拠にこだわりすぎると、取り返しがつかないということは十分にあり得る。だから、科学を待たずに政治が決断するのは「あり」だと私も思う。しかし、世界中の科学者が異常気象が95%以上の確率で温暖化の影響であると言い、近未来の悲劇を予測しているのにはほとんど(まったく?)耳を傾けず、経済成長ばかり追っている首相が、科学者を上回る敏感さで肺炎に反応し、これほど強引な措置を執ったことへの違和感は大きい。
 そう言えば、27日の毎日新聞「熱血!与良政談」(専門編集委員与良正男筆)は面白かった。与良氏は、今回の肺炎についての政府の対応が、『夕刊フジ』や百田尚樹氏のような首相寄りだった人々から厳しく批判されていることを指摘し、その上で「実は私が不安になるのは、こうして追い込まれた安倍首相が冷静さを失うことだ」と書く。首相が突如「休校要請」を言い出したのは、奇しくもその日の夕方のことである。与良氏が心配していた「冷静さを失うこと」とは、事実やデータの隠蔽であり(「例によって」と書かれている=笑)、「一斉休校」ではないが、その時、私の頭に浮かんだのはこの記事であった。案外、この辺が真実では?・・・