年度の始まりに当たって(学年主任談)

 我が家でさえ桜が開花したくらいである。塩釜神社では、名残の梅も含めて、既に花が咲き誇っている、という感じだ。
 さて、今日から新学期。私の勤務先の近くでも新型肺炎の感染者が出、仙台市内ではクラスターも発生したし、大崎市では医師が感染し、しかも、症状が出た後も治療に当たっていたというから、今後どれくらいの感染者が出てくるか見当がつかない。雰囲気は甚だ怪しいのである。どう考えても、4月8日に始業式、入学式を行うのは難しい雰囲気だが、私たち現場の人間としては、延期が決まらない限りは、淡々と準備をしていくしかない。
 今日は、新任者が着任したので、新メンバーによる第1回の学年会があった。残念ながら南極落選の私は(→事情はこちら)、2学年に進級して主任である。今日の会議の準備会ともいうべき、3月24日の学年会で、以下のようなものを印刷して配った。変に偉そうになるのが嫌だったので、読んだり解説したりはしていない。「読んでおいて下さい。以下についての異論がある場合は、学年目標についての議論の中でしましょう」ということである。何かのために、ここに公開しておく。箇条書きの順番については、さほど丁寧に考えていない。意味がない、と思ってもらった方がいい。


【年度の始まりに当たって】

  • 大人より先に子供が変化することはないと考えます。生徒の問題(勉強しない、受動的だなど)が私たちの中にないかどうか、常に一度立ち止まって考えてみたいものです。
  • 私は自分に権限があるとは思っていないので、何かを強制することはありません。クラス(学年スタッフ)の主体性が発揮され、緩やかな学年団であれば、と思います。ただし、私なりの思想というものはあって、それはあらゆる場面で表れてきてしまいます。生徒に分かる形でそれを批判してもらってけっこうです(そうすることが、生徒にとって考えるための良い材料になります)。
  • 周囲(管理職、同僚、保護者、世間)の意向を忖度せず、自分自身の理念に基づいて行動して欲しいと思います。(顔色を窺うところに「本物」はない。信念に基づいてやったことは、その時理解されなくても、数十年後に理解されることがあるのではないか?)
  • クラスや授業の実践は出来るだけオープンにし、学び合いが出来るといいと思います。
  • 時間をかけるべきことと、出来るだけ簡略に進めることとのメリハリを付けたいと思います。
  • 何かをする、もしくは何もしない理由を丁寧に説明することは大切だと思います。今の学校は、とかくやることが過剰になる傾向があるので、意図を説明しつつ「しない」は大切だと考えます(生徒が喜ぶことをするのが「善」ではない)。
  • 生徒の自主、自立を目指すために、LHRや学年行事では、生徒自身による企画運営ができるように指導することをもう少し意識した方がいいと感じます。自分がしたことの 責任を自分で取らせることも大切でしょう(欠席時のフォロー、赤点など)。
  • 結果を求めるよりも動機付けを大切にしたいものです。(生涯伸び続けることが出来る人間にするために。)
  • 利益誘導の教育をしたくありません。(今すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなります。時間の射程を長くすれば、何でも役に立つ可能性があります。放っておいたのでは生徒が目を向けないような長く大切に出来る考え方や価値観を教えるべきです。勉強は考査や進路決定のためにするわけではないはずです。)
  • 楽で便利を私はいいと思っていません。手間の中からしか価値は生まれないと信じています。
  • 学校は勉強するための目的集団(機能集団)です。目的集団は、目的に沿ってこそ健全に保たれると思います。そこを曖昧にしたくありません。
  • 学力向上が学校の仕事ですが、反復学習では付かない学力こそ大切にしたいものです(私は、広い視野で本来何が正しいかを考えるために勉強はするものだと考えています)。
  • 2年目の緩みはどうしても出てくると思います。まずは、教員側が緩むことのないように気を引き締め、「慣れ」のない指導をしたいものです(特に、基本的生活習慣(身だしなみ、あいさつ、言葉遣い、スマホなど))。
  • ワークライフバランスを考え、5時に帰れる2学年を(家庭も大切。自分自身の勉強も大切。多忙に自己陶酔しない。割り切る)。
  • 不都合でなければ、「学年だより」(昨年様式)は今年も出します。
    学年での合意と、私見は書き分けているつもりです。私見に対する先生方の反論等は、「学年だより」に投稿していただいても、生徒に先生の私見として語っていただいてもけっこうです。ちなみに、私が「学年だより」を書いている意図・配慮は次の通りです。
  • 自分が何を考えているのか知る。または、書くことで自分の頭の中を整理する。
  • 生徒を始め、校内を観察するきっかけになる。(何を書こうかネタを探しながらよく観察するようになる。)
  • さりげなく問題提起をする。(読むことを強制も確認も出来ないので、語るよりも説教くさくない。)
  • 学ぶ人は何からでも学ぶ。学ばない人は何があっても学ばない。学ぶかどうかは学ぶ側の意識と能力の問題だが、教員としては、意欲のある生徒がどんどん伸びられるよう、十分な材料を与えたい。              以上