失意の新学期

 新学期を迎える準備を着々と整えていた4月6日、宮城県は県立高校の休校措置を4月14日まで延長することを発表した。8日の始業式や入学式は、やり方を再検討した上実施してもよい、と言う。え~~~っ!それまで会議や準備はいったい何だったの?
 とは言え、そのまま実施することも、全てを取りやめることもできないので、案を練り直し、今日、極めて簡略なる「始業式」、ではなく、「始業HR(30分間限定)」と入学式(保護者なし、教室で放送による)をすることになった。ただし、不安だという生徒は登校しなくても公認欠席にする、と言う。
 そのように連絡してしまったことがまずかったのか、今日、ふたを開けてみれば、我が2年生は355名中99名の欠席である。理由の多くは「コロナ感染が不安だから」だ。3年生は、実にその1.5倍の生徒が欠席した。学校は、オープンしても成り立たちそうにない。
 ともかく、欠席者が多くても、一応新年度最初のHRは行ったので、「学年だより」も出した。「№1」にしようか、昨年から通算で「№42」にしようかひどく迷ったが、昨年度出していたのは「1学年だより」ではなく「学年だより」だったし(今年も同名)、連続性を大切にする方がいいと思ったので、「№42」にした。家庭学習に関する指示や学年の教員紹介についての記事を省いて載せる。なお、同僚に配った直後、「え?!平居先生失恋したんですかぁ?」と声を上げた人がいた。タイトルは実際の「学年だより」当該記事の見出し通りなのだが、字の大きさの割にサインペンが太かったものだから、字がつぶれて「失恋」に見えたようだ。ご愛敬。


(4月8日付け「学年だより№42」より)

【失意の新学期】
 実に不本意な新学期が始まった(笑)。「不本意な」は肺炎騒ぎによるのではない。昨年1学年主任になった時は1年契約で、2学年主任にはならない予定(?)だったのである。というのも、私は今年11月から来年3月末まで、南極・昭和基地に出張し、塩高を留守にする計画を立て、校長にも了承してもらっていたからだ。
 南極には昭和基地という日本の観測拠点があって、1年に1度だけ、「しらせ」という船が往復している。なんとびっくり!!その船に2名の「教員枠」というのがあるのである。なんとかしてその枠をgetし、南極と観測の最前線をこの目で見てみたい。私は中学時代以来の悲願を達成すべく、3年続けて応募し、ついに3回連続で不採用となった。応募は3回まで、というのが前校長(=県)との約束だったので、私の夢はこれで完全に潰えたことになる(制度の詳細を知りたい人は、国立極地研究所のホームページ参照)。
 初めて応募した時には自信満々だったので、落ちた時にはショックで立ち直るのに3ヶ月以上かかった(→その時の記事)。2回目落ちた時には、歳のせいだろうな、と思った(その時の記事なし)。最後となる今回は、結局のところ「縁がなかった」のだな、と思った(→その時の記事)。それでも、非常に悔しい。
 人生というのは、いくら頑張っても思い通りに行かないことが実にしばしば起きる。そんな時に、自分の心をどうコントロールし、前向きな生き方が出来るようにするか、というのは大切な課題である。頭では分かっていても、それは常に難しい。何歳になっても、だ。
 昨年、入学式当日に配った記念すべき「学年だより№1」裏面に、「人間は経験をつむために生まれて来たんや」という文章を貼り付けた(持っている人は読み直してみて下さい)。私が何かにつけて心の支えにしてきた文章で、今回もそれを思い出した。しかし、それを書いた西堀氏が、53歳の時に「南極へ行く」という40年越しの夢を実現させた人物だというのは皮肉なことである。
 南極に行けなかったおかげで、諸君とこんな時間が過ごせたからかえってよかった、といういい1年になりますように。よろしく頼む。


裏面:2020年3月29日付け日本経済新聞より「人の心に木を植える」を貼り付け。
平居コメント:(地方版ではなく、全国版の記事だよ。写真を印刷できないのが残念!)いい牡蠣を育てるためには、豊かな森が必要。これは正に着眼点の「コペルニクス的転換」、驚きの大発見だ。世の中では思いもかけないものが関連し合い、支え合っている。なお、東キャンパス図書館には畠山さんの『牡蠣の森と生きる・・・「森は海の恋人」の30年』という本がある(中央公論新社、2019年)。「聞き書き」で、とても読みやすい。