これも朝令暮改を表す

 今日付けで「学年だより№43」を出した。しかし、読んだ生徒はまだいない。と言うのも、15日に登校日を設けて課題を配る予定だったのだが、8日の欠席者数があまりにも多かったこともあり、急遽郵送することになった。17日までに各学年でレターパックに郵送物をまとめ、週末を挟んで20日(今日)午前発送というスケジュールが組まれた。
 というわけで、せっかく郵便出すわけだからと書いた「学年だより」は、発送日である今日の日付にした。生徒が手にするのは明日である。ちなみに、私が書いたのは4月16日(一部は17日朝)で、印刷したのは17日午前である。
 以下の本文には、教員の在宅勤務について、そんな話は全然ないと書いている。印刷の数時間後に知事がそれを言いだしたので、当然ながら既に実情に合っていない。まぁ、いいさ。それもまた、「朝令暮改」頻発の昨今をよく表している。
 これまでにこのブログに書いたこととの重複も多いがご容赦を。

 

(2020年4月20日付け「学年だより№43」より①)

 4月8日に登校した時、東キャンパスの昇降口で、私の隣に立っていた背の高~い人が、新しい校長だと気付いていた人はいないだろうなぁ(笑)。先生方の顔さえよく分からない変な新学期、その時の出席率があまりにも低かったこともあり、今回は全て郵送ということになった。
 ところで、肺炎騒ぎによる休校も、経済活動の停滞も困ったことだが、人や物の移動が少なくなり、飛行機を始めとする交通機関の運休は。あながち悪いばかりでもないようだ。大気汚染で有名な中国やインドの大都市にも、きれいな青空が戻ってきたらしい。そんな話を聞くと、肺炎は、欲深く傲慢な人間に対する自然からの逆襲だ、という気もしてくる。


【生徒のいない学校】
 休業も既に実質1ヶ月半を超えた。先生達はさぞかし暇だろう、と思っているだろうから、少しだけレポートしておく。ちなみに、「人と人との接触を減らすため、先生方もできるだけ学校に来ないで下さい」と言われるのかと思いきや、そんな話は全然ない。全員学校にいて、なぜかせかせかと動いている(?)

 3月、高校入試は予定通り行われた。当然、私は四苦八苦しながら国語の採点に取り組んだ。定期考査の時に苦労する現代文の採点は、入試でも頭痛のネタである。日頃はすることのない同僚との共同作業で、記述問題の採点で苦しんでいるのは私だけではないんだという安心と、みんなで知恵を集めても難しいんだ、という絶望感に同時に襲われる。
 採点しながら、書いた本人に見せてあげたいなぁ、と何度も思った。自分が書けたと思っている字や表現が、かなり△や×になっていると思う。見れば、いい勉強の材料になると思う。まぁ、いつもの定期考査でも同じことか・・・。

 3月下旬、4日間の登校日がなくなった分は少し暇になった。授業も部活もないのは、私たちが充電するのに最高の条件だ。ふと思い立って、日頃はできない学習会をしませんか?と呼び掛けた。
 テーマは「修学旅行」。私の手元にある、関西の文化財や歴史・地理に関する映像(主にテレビからの録画)を見るという企画だ。映像を見る時の観点は、これが修学旅行の予習として授業等で使えるかどうか、である。4月8日以降の第2ラウンドも含めて、6日間で9本、のべ9時間の映画や番組を見た。参加者は、私以外に2~10人。
 当然、私は見たことのあるものばかりだったが、退屈しないどころか、新鮮な感動があった。今更ながらに、価値ある物を後世に伝えようという人々の情熱や技術、自然と文化との深い関係といったものに感銘を受けたのである。「古い物はいい」=「いい物しか古くなれない。」

 4月。更に時間に余裕が出来たはずなのに、会議をしては新しい通知でひっくり返る、というようなことを繰り返した。疲れる割に生産性が低い。
 生徒のいない学校で動いているのは、私たち教員だけではない。事務も庁務もまったくいつも通り。この数日、東キャンパスでは、庁務さんが黙々と窓ふきをしていた。「先生もだべけど、生徒も来た時きれいだと気分いいすぺ」だそうだ。感謝、感謝。