あまりにもアンバランス

 あ~あ、ついにインターハイも中止である。切ない。実に切ない。一部では、プロによる人材捜しの場がなくなることについての懸念なども語られているが、そんな人たちはどうでもいい。インターハイがなくても、いろいろ活躍の場がある。しかし、高校で部活動に取り組む生徒の圧倒的多数は、プロなんか目指していない。日々の生活の充実のために部活動をしているのであり、その集大成がインターハイ(の予選)だ。そこで「3年間やりきった」という達成感、充実感を得られるかどうか、これはとても大切なことである。
 恐怖の伝染病が蔓延している、インターハイだの部活動だのという呑気なことを言っている場合ではない、と納得できるのならいい。私にはどうしてもそれほどの事態に見えない。例えば、次のような数字を見てみよう。まずは人口10万人当たりの新型肺炎による死者数である(死者数順、今日現在。カウントされていない感染者がいるはずだとの報道は後を絶たないし、国の人口を四捨五入したりするので概数)。
アメリカ  16.5人
イタリア  44.0人
スペイン  49.7人
フランス  35.1人
イギリス  30.7人
・・・
日本     0.28人
 次に、日本における世代別の死亡率(4月19日までのデータ、NHKによる)。
80歳以上 11.1%(死者数87)
70歳代   5.2%(同50)
60歳代   1.7%(同21)
50歳代   0.4%(同7)
40歳代   0.1%(同2)
30歳代   0.1%(同2)
30歳未満    0%(同0)
 例えば30歳代の0.1%(実は0.125%がより正確)が死ぬというのは、1,000人に1人が死ぬということだが、誤解してはいけないのは、この1,000人が全て感染者だということだ。日本の30代人口は約1,430万人、4月19日現在の感染者数が1,614人、感染率は0.0113%なので、30代全体に対する死亡率は0.000014%である。まぁ、そんな面倒なことをしなくても、1430万人当たり死者2人ということは、715万人に1人=0.000014%と考えた方が簡単だ。30歳未満がゼロということは、当然、高校生の死亡者もゼロということだ。他に死ぬ原因(事故も含む)、これより死亡率の高い病気なんて正にいくらでもある。ちなみに、昨年1年間の日本国内での死亡者数は、驚きの1,376,000人!人口10万人当たり1,110人で、1日当たりだと37,700人だ。もちろん、特別な1年だったわけではない。毎年、その程度は死ぬのである。
 新型肺炎による死亡者数が今程度で収まっているのは、日本政府の迅速な対応と高度な医療技術のおかげだろうか?私はそうではないと思う。欧米諸国は日本以上に強引かつ徹底した対応を取ってきた。医療技術が日本よりも格段に劣っているとも考えにくい。文化的、人種的な何かが違うのだと思う(→参考記事)。
 確かに、今のような外出制限を緩めれば、ある程度(今の数倍から数十倍)は感染者も死者も増えるかも知れない。それでも、多くの学校の休校措置を含めて、それによって失われるものの大きさも考えてほしいものだ。
 我が宮城県知事は、今日の記者会見で、ついに学校再開を9月にする可能性に言及した。その宮城県はといえば、現時点での累積感染者数が85人、死者ゼロ、治癒者31人である。過去1週間に見つかった感染者は3人だ。これで8月まで休校にするかも知れないとは本当に驚きだ。
 もしも、現在の肺炎対策が、10代を守るためのものではなく、彼らがウィルスを媒介することで、死亡率が高い老人が感染することを恐れてのものだとすれば、申し訳ないが、私が80代の老人だったとしたら、「肺炎にならなくても、どうせもうすぐお迎えが来るんだから、若い人たちが私たちに気を遣ってそんな不自由な思いする必要なんてないよ・・・」と言うと思うのだが、世の中の老人の思いは一体どのようなものなのだろう?
 「人の命は地球より重い」とか、「このようなことは2度と起こってはならない」とか言いながら、過剰に予防措置を講じ、安全ではあるが得るものもない、デメリットをゼロにするために、メリットを根こそぎ失わせる、そんな世の中が出来上がっていく(→先月の参考記事)。一方で、メリットはごくわずかなのに、山のようにデメリットがあるスマホを、ごく気軽に小学生にさえ持たせる親が急増している。この辺のアンバランスも、私には理解不能だ。要するに、私には人の考えることが全てよく分からないのである。
 だけどやっぱり惜しいなぁ、インターハイの中止。いやいや、自分の足下を見れば、12月の修学旅行も怪しくなってきた。勘弁してくれぇ。