今年も始まった「最早・最高」

 仙台の昨日の最高気温は30.8℃だった。観測史上最も早い真夏日だそうだ。同じく仙台の南隣の町・名取市では32.1℃。まだ2日だというのに、5月の観測史上最高だという。(一方、我が石巻は20.1℃。これって何なの?その前の日、4月30日も仙台より7℃低かった。わずか50㎞しか離れておらず、標高も同じなのに!!→参考記事
 「観測史上最も早い・最高・最多」・・・近年毎年耳にするこの言葉を、今年も既に耳にすることになったわけだ。暖冬だった年は冷夏になる、と聞いたことがあるけれど、どうやらその法則は、今年には当てはまらないらしい。いやいや、まだまだそう言うには早いか・・・?
 今日の河北新報第1面には、「台風19号治水のゆくえ」という大きな特集記事が載った。連載されるようだ。今回の記事には「温暖化進行 今世紀末の東北」「短時間豪雨〈増〉猛烈な台風」という見出しもついている。
 それによれば、今世紀末、宮城県では年平均気温が4.6℃上がり、真夏日が42.8日増え、24時間当たり100㎜以上の降雨が1年当たり0.7回増えるという。パリ協定によれば、気温の上昇を2℃以下に抑えないと生存に関わるはずだから、これは正に危機的、いや破滅的な状況だ。
 私が以前からよく言うとおり、地球環境の悪化(主に温暖化)がこのまま進んだ場合、その被害は想像を絶する。おそらく異常気象やそれによって引き起こされた食糧不足で死ぬ人は、今回の肺炎で死んだ人の何十倍、何百倍になるはずだ。IPCCが警告しているとおり、食糧不足の結果、食糧を奪い合う戦争が勃発すると、その死者数は桁が更に上がる。

 だから、飛行機が飛ばないのはいいことだ。新幹線も臨時が全て運休になった上、今月末からは定期便も間引きが始まりそうだ。外出自粛の影響で、自家用車もかなり減っているらしい。もしかすると、地球上の生物が生きながらえるようにするために、神は新手のウィルスを創造し、この世に送ったのではないか?とさえ思われてくる。もっとも、今の状態が少なくとも数十年は続かないと、効果は表れてこないだろうけど・・・。
 とは言え、肺炎騒ぎでこれだけ人の活動が制限されると、業種によっては本当にたいへんだろう。既に100社以上が倒産。一説には、緊急事態宣言が1ヶ月延長され、その間、営業の自粛(「禁止」と言わないのはズルい)が続くと、失業者が77万人も増えるという。倒産・失業による自殺者が出ることを危惧する報道も何度か目にした。確かにあり得る話である。

 肺炎騒ぎがあろうがなかろうが、人間生活の生き物としての基本は変わらない。「生んで育てる」ために「食べて出す」、ただそれだけだ。命を維持するために食べる量が変わるわけもないので、現在危機に瀕している職業の多くは、その意味で「ぜいたく産業」である(ダメージを受けていない職業の中にも、まだまだ「ぜいたく産業」はある)。ははぁ、なるほど。今の社会には、これほど多くの「ぜいたく産業」があったのだな、と分かる。それが人間生活の「豊かさ」を演出していたのは確かで、もちろん、私などもその恩恵に浴していたわけだが、それらの職業が危機に瀕することで、私たちがどれだけぜいたくな生活をしていたかも、よく分かろうというものだ。
 「ぜいたく産業」がつぶれるのはよいが、食えない人が出るのはよくない。多くの失業者が出て、その失業者をどの産業が吸収するのか、ということを考えた場合、医療・衛生用品産業で吸収できる人の数なんて限られているだろう。本当は、輸入に頼っている食糧を国内で確保すべく、農業従事者が増えることが望ましいのだが、それとて、耕作可能地の面積を考えてみれば、さほど多くを吸収できるわけではない。ここで、「実は今の人口って多すぎるんじゃないの?」という話になる。
 緊急事態宣言が取り消されたとしても、多くの人が動き回る世の中がいかに危険かは分かったわけだし、どっちみち、国としても目指すという「持続可能な社会」の究極の姿は、輸出入ゼロで成り立つ社会なわけだから、この際、そういう視点で社会構造の変化を目指すビジョンを作る必要があるだろう。
 しかしながら、近年、世の中で行われていること=人間の行動は何から何まで変である。新型肺炎騒ぎへの反応だけがまともである可能性はない。残念ながら私はそう思う。解決を目指せば、更に過激で環境負荷の高い対策が取られるに違いなく、ウィルスをこの世に遣わした神の配慮も踏みにじり、人間は破滅への勢いを加速させることだろう。まずは、失業対策で土木工事を増やし、授業の遅れを夏休みに取り戻すためエアコンを設置する、というあたりから始まるだろうか・・・?