産業構造転換のチャンス

 学校が始まって1週間が過ぎた。始業時刻を1時間遅らせ、40分×6コマという変則形ではあるが、5月末の駆け込み通知で「クラスを2分割」はせずに済み、全員マスクという以外には違和感のない新学期になっている。出席率も上々。生徒たちは、何事もなかったかのように学校に来て、「3密回避」も何のその、友達とべたべたじゃれ合いながら、楽しそうに生活している。部活の声・音も聞こえるようになって、活気があるとはこういうことなのだなぁと、改めて「当たり前の幸せ」を噛みしめている。
 それでも、宮城県では1ヶ月半ほど感染者ゼロであるにもかかわらず、マスクは外させてもらえないし、教室の消毒、ゴミ捨ての制限などあってうっとうしい。全校はおろか、学年の集会も開けない。夏休みは2週間短縮で、行事の削減・縮小も当たり前。半年後の修学旅行も赤の点滅。なんだか「共同幻想」の中にいるようだ。
 テレビのニュースを見ていると、西村さんという人がよくしゃべっている。肩書きは「経済再生担当大臣」である。不思議なことに「厚生労働大臣」の顔を見ることはほとんどない。病気というのは厚労相の担当だと思っていたのだが・・・。いくら自粛・休業による経済的ダメージが大きいとは言え、話の中身を聞いていると、必ずしも経済問題でないことが多い。
 おそらく、話にそつがないことを評価されて、スポークスマン的な立場になっているのだろう。露出度が高いことによって、次期首相という呼び声もにわかに出ているという。無難に答弁するというのは一つの能力で、それが評価されて露出度が高まっているわけだから、露出度が高まることで更に重要ポストを与えられるというのは、決しておかしなこととも言えないが、政治家に本来求められる能力というのは、情報収集をして、先を見通しながら的確な判断をするというものである。彼の露出度の高さが、そのような能力と関係あるようにはあまり見えない。タレントやスポーツ選手が議員になり、選挙ではひたすら名前の連呼、というのを思い出す。
 数日前、ついに我が家にも「アベノマスク」というものが届いた。テーブルの上に置いてある安っぽいマスクをじっと見ていると、なんだか情けないような気分になってきた。これを全国に届けるのに450億円以上をかけたという。
 お金といえば、この数日話題になっているのは、「サービスデザイン推進協議会」と「Go Toキャンペーン事業」だ。よく知られている話だと思うので、ここで詳細のおさらいはしないが、どう考えてもいかがわしい話である。しかも、金額があまりにも大きい。前者が769億円、後者が上限3095億円。加えて、10兆円の予備費だ。
 もう、お金の感覚が崩壊しているように思える。1200兆円の借金がある中で、「100億円」「1000億円」「1兆円」という天文学的な金額が、政治家には1万円とか10万円とさほど変わらない金額に見えるようになってしまっているのではあるまいか?
 私はしばらく前に、「近年、人間がしていることは何から何まで変である。肺炎騒ぎについてだけまともな対応が出来るわけがない」と書いた(→全文)。正にその通りのことが続々と起こっている、という感じだ。
 海外(主にアメリカとブラジルです)の話題も含めて、常に眉間にしわを寄せながら報道を見ている私だが、今日の河北新報第1面に載った岩手の農業アルバイトの話は、珍しく明るい気分にさせてくれるものだった。
 記事は「新型コロナウィルスの影響による休業者の増加に伴い、農業が副業先として注目されている」と始まる。外国人技能実習生が来日できず、人手不足に陥っている農家に、4月以降休業を余儀なくされている人々が、仕事を求めて短期アルバイトとして入るようになっているのだという。
 私は、上でリンクを張ったのと同じ記事で、「失業者は(中略)、食糧生産にこそ移動すべきだ」と書いた。「生活の余裕」とか「心の豊かさ」と言いながら、生物のとしての人間を離れた、いわばぜいたく産業ばかりが極端に(←極端に、ですよ=最大級の強調)肥大した今の社会を、私は強い危機感を持って見ている。今回の肺炎騒ぎをきっかけに、第1次産業へと産業構造が多少なりとも変化するなら(短期アルバイトではダメです)、肺炎騒ぎにもメリットはあった、ということになる。
 しかし、外国人実習生を不要とし、日本人が農業生産により多く従事するようになったとして、従来と同じ収入を期待するのは禁物、というより、出来るわけがない。この点についても、私はかなり前から、「社会全体で貧しくなるべきだ」主義者である。そもそも、今の豊かさが、節操なく石油を燃やすことによってかろうじて実現している「何かの間違い」なのである。そして、そんな社会を目指すためには、現在の「多すぎる人口」も大きな壁となって立ちはだかってくる。昨日発表された「合計特殊出生率1.36」は、危機でも何でもないのである。
 あらゆる面で発想の大転換をしなければ、間違いなく人間は生き延びられない。