井上ひさしの作文教室

(6月30日付け「学年だより№52」より①)

 日曜日の新聞(河北)で左のような訃報(注:ミルトン・グレイザー氏91歳のもの)を見つけた。今や世界中に氾濫する「I❤○○」というデザインは、あまりにもシンプルであるが故に、ほとんど自然発生的に生まれたのかと思っていたが、ちゃんと発案者がいたのだな。デザインの力は大きい。同時に、おそらくはこのデザインが世界中で「登録商標」として保護され、発案者には巨大な収入がもたらされたであろうことも想像されてくる。知的財産権は重要なのである。


裏面①:6月26日付け河北新報の拙文(→こちら)貼り付け 
平居コメント:いちいち紹介するのも自己顕示欲が強いみたいで嫌だな、と思ったけれど、「作文練習」という問題との関係で載せておくことにした。
 昨年の夏休み課外「小論文基礎講座」に前向きな気持ちで出席した約45人の諸君は、悲惨な作文(私に悲惨だと評される作文)を書いていたことを憶えているだろうか?その際、文章を書けるようにするためには、ひたすら書いて他人に読んでもらい、自分でも読み直し、どうすれば他人が分かる作文になるか悩むしかない、材料になる知識も必要だ、3年生(の秋)になって就職や進学のための試験が目前に迫ってから慌てても絶対に無理だよ、と強く言った。「学年だより№4」では、練習の場として新聞投稿も重要な方法のひとつだ、と勧めてある。その後、諸君はどのような意識で何をしてきただろうか?

裏面②:2018年12月23日付け朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一撰)を貼り付け。取り上げられている言葉は、井上ひさし「作文の秘訣を一言でいえば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね」。
平居コメント:井上ひさしは仙台で高校を卒業した小説家。私は、15年ほど前、当時仙台市文学館の館長をしていた井上が、「高校生のための作文教室」を開くというので見に行ったことがある。なにしろ有名な作家なので、すごいノウハウを持っているんだろうなぁ、と期待満々で行ったところ、作品例を書いた高校生に、自分の作文についての自己評価を求め、それに「そうなの?」「よかったね」などと相づちを打つだけで、どこをどうした方がいいという話は一切無かった。
 私はすっかりがっかりして帰ってきたのだが、よくよく考えてみると、文章を書けるようになるためには自分で悩むしかない、人が教えられることなんてないんだよ、という彼なりのメッセージだったのではないかという気がしてきた。