USJには行きません(補)

 昨日の記事について、少し補足をしておこう。
 1ヶ月余り前、今の1学年が来年度の修学旅行の素案を作るにあたり、たまたま学校にやって来た業者に、他の学校がどれくらいUSJに行っているのか尋ねてみたところ、驚くべきことに、公立と私立とを合わせて、関西を目的地とする学校でUSJに行かない学校が1校しかなかったそうだ。正式な調査ではなく、あくまでもたまたま学校に来た業者に聞いてみた、というだけであり、分母が幾つかはよく分からないのだが、それが検討の参考になるということだったので、5校とか10校の中でというのではないことは間違いがない。私にとって、本当に驚愕の実態である。
 なぜ、世の中の学校はそうやってあんな一私企業に貢ぐのだろう?金の力で現実離れした「夢」だか「楽しさ」だかを与えてもらうというのは、最も教育と相容れないことに思えてならない。非現実と浪費(入場料+多くの生徒が買うらしいファストパス=優先乗車権といった金銭的なものに加え、食堂で出る膨大なゴミ、大量のキャラクター商品なども)のひどさに関して、大きな社会的害悪のひとつであるとさえ私は思っている。おそらくは、生徒の多くが喜ぶからとか、入場させてしまえば後は放置で教員が楽できるとかの理由で、そのような旅程が組まれるのであろう。修学旅行の日程が10日くらいあって、どの保護者も何にいくらお金を使おうが気にしない、というのであればまだしも、貴重な実質3日間で生徒に何を見せるべきか、という考え方をした場合、私は教員の見識というものを強く疑う。恥ずかしい、と言ってもよい。
 私が学年主任になった時、修学旅行の作業を始めるに当たって、私以外のスタッフの意向により、USJに入場を強制する計画を立てることになったら嫌だなぁ、だけど私には専決権のようなものはないしなぁ、と心配していた。教員内部のアンケートを取って方向性の議論をするところから始め、幸いにして、議論がそちらへ流れそうになることは一切なく、クラス別研修や全体行動でUSJに行かないという合意が、無理なく出来たことはよかった。代わりにと言っては変だが、3日目の自主研修の日には、USJに行くことも容認することにした(ただし、私がそんな提案をしたわけではない。「呑んだ」と言うに近い。発着は京都駅近くのホテル)。いろいろと問題はあるが、最低限の一線は守れたと思っている。
 なにしろ、選挙で選ばれたわけではないし、権限に関する明確な規定があるわけではないので、私は他の教員に何かを強制することは出来ないと思っている(→私の施政方針のようなもの)。昨日の「学年だより」を書くに当たって、私は今までの流れを踏まえて、わざわざ「こんな考え方を学年の総意として確認していいですか?」という文書を配り、お伺いまで立てたのである。「これは全くその通りだ」と言ってくれた人はいるが、疑問や意見は出なかった。
 今、普通科ではせっせとクラス別研修の準備をしている。断片的に話は耳に入ってくるが、まだ詳細はよく分からない。私も、余計な口を挟みたくなると困るので、積極的には聞かないようにしている。基本的考え方に従えば確かにこうなる、なるほど、というような計画が出てくるといいのだけれど・・・。