東京で感染者が増える理由

 今朝は最近になくいい天気。このブログでも、最近「船」に言及することがなかったが、今日は久しぶりで我が家の沖に少し珍しい船が泊まっていた。見るからに水産高校の練習船。双眼鏡を出してきてファンネルマーク(煙突のマーク)を見れば岩手県練習船「リアス丸」と知れた。我が家から車で10~15分、確か東北第二の造船所と聞いたことがあるヤマニシ造船は、1~2ヶ月前に会社更生法の申請をするに至ってしまったが、船の建造、修理の作業は続けていると見える。そうでなければ「リアス丸」が、我が家の沖に現れるわけがない。我が家の沖に何丸が泊まっていようがたいした問題ではないのだけれど、珍しい船が泊まっているとなんだか楽しい。

 ところで、今まで感染者が1人も出ていなかった石巻で、今日、ついに感染者が出た。6月末に東京に遊びに行った女性2人だそうだ。おいおい、遊びで東京に行くなよ。
 石巻では、市の防災無線でそのことが周知されたそうである。単なる連絡なのか注意喚起なのか、私は職場にいて聞いていないので分からないが、一体何のためにそんなことをするのか理解に苦しむ。
 さて、その東京では連日100人以上の感染者が出ている。今日は遂に124人だ。他県でもぽつりぽつりと感染者は出ているものの、東京は突出しているという印象を受ける。だが、東京の人口からすれば、しょせんたいした数ではないし、20代、30代が8割以上を占めるとなれば、なぜそんなことになっているかは分かるような気がする。
 現時点で、新型肺炎による最も若い死者は、28歳だった力士「勝武士」かと思う。30歳未満で他に死者はいない。単に死なないというだけでなく、重症化もまれらしい。だとすれば、感染したっていいや、ただひたすら窮屈な毎日を過ごすなんて嫌だ、という若者がいても不思議ではない。まして、感染に配慮した仕事の仕方をすると、生活が成り立たなくなる、などという場合はなおさらである。自分がかかることで、それを死亡リスクが高い老人に移すことになるかも知れない、という考え方ができる人は、老人と同居している人ならともかく、そうでなければむしろ「殊勝」と言うべきだろう。経営の自粛も外出の規制も、守らない若者がいることは不思議でない。
 先週の朝日新聞土曜版「be」に、札幌医大が出した各国の人口100万人あたりの死者数一覧表というものが載っていた。本当にびっくり。
 アメリカやブラジルの死者数が絶対数において多いため、それらばかりが目立っていたが、人口100万人あたりにすると、ベルギーが圧倒的に多くて836.6人、以下スペイン646.8人、イギリス627.4人・・・と続き、世界平均が59.8人で、日本はなんと7.5人。ベルギーの111分の1である。アメリカでも361.7人、ブラジルは235.1人だ。10人未満は日本以外にインド、インドネシアバングラデシュ、韓国、ニュージーランドシンガポール、オーストラリア、マレーシア、中国、タイ、台湾とアジア・オセアニアの国々がずらり勢揃いである。最低は台湾でわずか0.3人。
 記事では、欧米とアジアがなぜこれほど違うのかについて、文化的な違いだけで説明できるものではないとし、BCGの接種、肥満・生活習慣病の程度が軽い、交差免疫、そして遺伝子の違いなどを可能性として挙げている。手元に取っていないのだが、遺伝子の問題に言及した記事を1週間ほど前にも見た。
 私がこのブログで始めて人種(遺伝子)の問題に言及したのは4月10日だったと思う(→こちら)。今を遡ること約3ヶ月だ。最近、ようやくその点についての言及を見るようになったというのは、指摘されてはいたが私の目に入ってこなかったというだけなのだろうか?本当に指摘されていなかったのだろうか?少なくとも4月に入った頃には、ほぼ見えていた問題のような気がするのだけれど・・・。
 いずれにせよ、アジアにおいて、感染も感染後の経過も、欧米に比べて著しく軽度であることはほぼ間違いの無いこととして分かってきたように思う。そんな中で、今のように極端な対策をとることは、どう考えても間違いだ。先日の河北新報記事(→こちら)にも書いたとおり、感染症対策からは大きな副作用も生まれるはずなのである。