山本直純のこと(1)

 山本直純(1932~2002年)という人を初めて知ったのは、ご多分に漏れず、「大きいことはいいことだ」という森永のチョコレートCMでだった。その後長い間、私は山本を仰々しく騒々しいただのタレントだと思っていた。それなりに優れた音楽家だと知ったのはいつ頃だっただろう?
 私が大学2年だった1982年末、宮城フィル(現仙台フィル)の第九の演奏会は、山本直純の指揮だった。私は聴きに行った。ただし、指揮者が山本直純だからだったかどうか、動機に関する記憶は定かでない。山本直純を直接見たのはこの時だけである。赤ではなく、黒のタキシードを着ていたと思うが、演奏そのものについての記憶はない。終演後、拍手でステージに呼び出された何回めか、テレビで見るとおりのあの「ガハハハ」といった感じの笑顔を見せながら、客席に向かい指揮棒を高々と放り投げてお開きにしたシーンだけを鮮明に憶えている。
 私はカラオケが大嫌いである。歌うのが嫌いなのではない。ピアノやギターによる伴奏なら喜んで歌う。あの暴力的な音量に耐えられないのだ。お酒は、人と話をするために呑むものと心得ている私にとって、それを妨げる騒音は害悪以外の何ものでもない。最近は、本意ではない「付き合い」や「義理」を強いられることもなくなったが、昔はそれが時々あって、カラオケ付きのスナックに引っ張って行かれた。しかも、歌うことまで強いられる。大抵は逃げ回っていたのだが、どうしても逃げ切れないとなれば、仕方なく歌うのは「男はつらいよ」の主題歌だった。これが山本直純の作った曲だというのは知っていた。庶民の生活と日本的な情緒を感じさせ、しかも、曲が始まった瞬間に、聴く者を「寅さん」の世界に引き込んでしまう。驚くべき力を持つ音楽だと思う。
 さて、今年5月26日から6月12日まで、朝日新聞で「ドリフの時代、その音楽」という記事が12回に渡って連載された。とても面白く、毎回夢中になって読んだのだが、その第2回から第4回までは山本直純が主人公だった。山本直純の音楽家としてのすごさについては、2014年5月26日付けの朝日新聞「文化の扉」欄もインパクトの大きい記事として印象に残っている。今回、その記事を探し出してみると、書いているのは今回の連載の執筆者である編集委員吉田純子氏である。彼女自身が、山本の魅力に取り憑かれているのだろう。
 今回の連載から、そんな山本を描く一節を引いておく。「8時だよ!全員集合」の収録現場での音付けの場面だ。
 「どんな楽譜でも隅々まで頭に入っている。奏者全員の音が完全に同時に聞こえる。楽員のどんな些細なミスも瞬時に指摘する。『ここ、15秒くら書いて下さい』『ここは5秒削って』。現場からのどんな依頼にも涼しい顔で応え、山本は五線譜に鉛筆を走らせる。頭の中にある音を写し取っているとしか思えない速度に、助手たちは『モーツァルトか山本先生か』とささやきあった。」(第3回)。
 その後、柴田克彦『山本直純小澤征爾』(朝日新書、2017年)を買ってきて3回読み、ついに高価なDVD4枚組『オーケストラがやって来た』を買い、合計502分も収録してある映像を2週間かけて全部見た上で、「第1楽章山本直純編」とされた第1巻をまた見直し、更に、その中の気に入った部分を繰り返し見た。その間に、山本が指揮し、さだまさしが歌う軽井沢音楽祭の映像をYou Tubeで繰り返し見たりもしていた。それが、振り返ればわずか3週間あまりの間のことなのだから、よほど入れ込んでいたのだろう。私は決して暇な人間ではない(つもり)。仕事(学校)もあれば、準仕事としての学術もある。酒席も多い。それでいて、3週間の間にそれだけの時間、山本直純について考えるのに時間を費やしたのだから、やはりよほど面白かったのだ。
 「オーケストラがやって来た」のDVDは、そのほとんどが「懐かしい」という感覚で見られる人間には面白い。頻繁に登場する小澤征爾の若さは当然としても、今は亡きアイザック・スターン中村紘子、安川加寿子、森正、髪の毛がふさふさの井上道義やクリストフ・エッシェンバッハ(2人とも今はスキンヘッド)、まだ子どものような千住真理子、音楽家だけではなく手塚治虫遠藤周作も登場する。私のような年代の人間には貴重な「お宝映像」がたくさんだ。
 しかし、あまりにもいいとこ取り。映像が断片的すぎて、番組の面白さが逆に伝わりにくくなっていると感じる。そんな中で、やはり山本に焦点を当てた第1巻が面白い。
 童謡や映画音楽以外の山本直純の曲というのは、なかなか聴く機会がなかったが、今回聴いてみてたいへん優れたものであると感じた。ベストはオラトリオ「踏絵」(1975年6月25日収録)。舞台に座っている原作者の遠藤周作が、途中で大写しになる。この時の、必死にこみ上げてくる感情と闘っているかのような遠藤の表情も感動的だ。寺山修司作詞の合唱曲「田園わが愛」も素晴らしい。収録したのが寺山の故郷・青森県で、弘前大学混声合唱団が歌っている(1974年2月22日弘前で収録)。とても分かりやすくロマンチックな音楽である。特に第2曲は、そのロマン的な陰影に鳥肌が立つ。DVDにはなく、番組でも取り上げられたことがあるかどうかは分からないが、山本が作曲を勧め(指示?命令?)、自らオーケストラパートを書いたというさだまさしの「親父の一番長い日」の間奏は、評判通りの名曲だ。歌全体に漂う哀感を同じ濃さで含み、文句なしに美しい。You Tubeで見ることができる、軽井沢音楽祭で山本直純指揮新日フィルをバックにさだが歌う「防人の詩」も絶品。
 ああ、こんな曲をライブで聴いてみたかった、できれば山本自身の指揮で、と強く思ったところで、我が家に残っている冒頭で触れた山本指揮第九演奏会のプログラムを引っ張り出して見て驚いた。通常、第九の前には同じベートーヴェンの序曲やモーツァルトの小さな交響曲が演奏されることが多い。ところがその時演奏されたのは、なんと「田園わが愛」全8曲だったのだ(プログラムには山本自身が解説を書いている)。つまり、私は山本自身の指揮で「田園わが愛」を聴いたことがあったのである。
 残念ながら、まったく記憶が残っていないということは、そんな貴重な場にいながら、当時の私にはその音楽の価値が全然分かっていなかった、ということである。あるいは、第九の前座としてしか認識していなかったのだ。「取り返しがつかない」と言えば大げさに聞こえるかも知れないが、今の私の実感をそれ以上に上手く表現できる言葉をどうしても思い浮かべることができない。(続く)