規則ではなく「良識」で生きる

(2020年7月31日付「学年だより」№56より②)

【生活は「良識」に支えられる・・・2ヶ月間を振り返る】
 スカートの短い人が時々いるとか、それ本当に地毛なの?みたいな話は少しあったが、全体として見れば、両学科とも立派な生活状況であった。出席率も良好。コロナ騒ぎによる「出席停止」乱発で、やり方によってはいくら休んでも欠席にならないため、「便乗欠席」が増えるのではないか?と心配したが、幸いにして杞憂であった。
 「法律の抜け穴」という言葉がある。法律は完璧ではないので、法に触れないように悪いことをするのは可能だ、ということである。では、法律を完璧にしたら・・・?
 解釈の余地のない言葉というのはあり得ないので、世の中でやってはいけないことの全てを明文化するのは不可能だ。そもそも、そんなことを目指したら、息が詰まるような窮屈な社会になってしまう。
 では、規則に「抜け穴」があるにも関わらず、社会が円満に成り立つのはなぜか?それは1人1人が「良識」というものを持ち、それに従って行動しているからだ。私たちが、今のところほとんどの諸君にがみがみと注意をし、お互いに不愉快な思いをしながら生活しなくて済むのは、諸君の「良識」のおかげである。そんな生活が続きますように。
〈余談〉
 先日、ちょっとした事情で、塩釜市内の某ボランティア団体の集会に出席した。そこで、私はある人から、「今の塩釜高校ってどうですか?」と尋ねられたので、「塩高は、一言で言えば『よき日本人の学校』ですね。決して勉強がよく出来るわけではありませんけど(失礼!)、人間性が穏やか円満で、良識的な生徒がそろっている、今どき珍しいほど平和な学校です」と答えておいた。本心ですよ(多分=笑)。

 

【自分を伸ばそう、という意欲があれば・・・】
 夏休みの課題について職員室で話をしていた時、単に問題集に答えを書き込むというのではない、何か別のやり方ってないものですかね、という話になった。某先生によれば、今時の高校生は、誰かの解答をスマホで撮って配信し、それを他の人達が書き写すものなのだそうだ(本当?!)(びっくり!!)。何人かの先生達であれこれ考え、結局、いいアイデアが浮かばなかったと言うよりは、バカバカしいから考えるのを止めた。
「誰かがやったものを写しても、何も勉強にならない。自分を伸ばそうという意欲がある人は自分でやるだろう。写しても損するのは自分。それでいいではないか」ということである。
 よく言うとおり、諸君の高校生活は「権利」であるが、その権利を行使して学ぶ責任というものもある。しっかり頑張ってね。