最後はトリアージ

 フランスの元大統領・ジスカール・デスタン氏が亡くなった。死因は新型コロナウィルス(COVID-19)による感染症だという。とは言え、御年94歳。死因を本当にコロナとしていいのだろうか?この訃報に接して、人は「やっぱりコロナは怖い」と感じるのだろうか?
 私は老衰の一種であろうと思っている。その年になれば、どんな病気にかかっても、それが引き金となって死亡するということは、不思議でも何でもない。死因をコロナだとすることは、コロナを必要以上に恐ろしい病気に見せるという点で、弊害が大きいと思う。もちろん、このことは日本でも同様だ。80歳か85歳を超えた方については、あまり死因を明確にする必要がないのではないか?
「第三波」という言葉を聞くようになってから1ヶ月。感染の拡大は止まらないようだ。「Go to なんとか」の部分的停止や自粛要請、飲食店の営業時間短縮など、かつてのような措置が取られ始めている。感染拡大の危機感が報じられる時、必ず言われるのが、感染者数の増加それ自体よりも、それによって医療崩壊と呼ばれる現象が起きることへの危機感だ。
 しかし、コロナ倒産と言われる倒産も増え、航空、旅行等の業界で、大幅な会社縮小、人員整理などの実施が言われている。飲食店の倒産は今後かなり増えるのではないか?自殺者も増加した。10月には1年半ぶりで2000人を超える自殺者が出た。学校内での荒れや不登校の増加も危惧されている。因果関係が明瞭でない以上、全てをコロナに結びつけるのはよくないが、無関係とも言えない。
 私は早い時期から、感染症対策によるメリットよりも、時間が経つほどデメリットの方が大きくなる、このままのことをやっていてはいけない、と言っていた。私の心配の中心は、経済よりもむしろ、表情の見えないコミュニケーションや、オンラインによるリアルな人間関係の喪失などが、特に若者の人間観、社会観の形成に悪影響を及ぼすことである。
 しかし、経済も否定することは出来ない。何もかも解禁して、あの狂ったようにぜいたくな生活が再開されることは憂鬱で、それならいっそ流行が続き、控えめな生活を強いられることが続けばいいなぁ、とも思うけれど、食えない人が出ることは、コロナ以上に大変である。日本全体の1人当たり所得を減らして、薄く分配することが一番いいとは思うが、なかなかそれだけの大きな価値観の変更は難しい。だとすれば、やはり感染症のリスクを覚悟で、規制はどんどん廃止するしかないのである。
 と言えば、平居はコロナを軽く考えすぎだ、患者数が増えて医療崩壊が起こったらどうするのだ?と責められることであろう。私は、トリアージをするしかないではないか、と思っている。限られた医療体制で対応するため、患者に優先順位を付け、あえて治療を不公平に行うというものである。
 スウェーデンでは、「80歳以上の人、70歳代で1つ以上の臓器障害を有する人、60歳代で2つ以上の臓器障害を有する人」をICU治療の適応外とした。基準をどのように設定するかは、それが最も合理的であるとは言えず、いろいろと考えてみる必要があるだろうが、医療体制が逼迫してきた時には必要な措置である。おそらく、国民性の問題から、日本人はなかなか非情になれず、したがってトリアージの話も出て来ないのではないかと想像する。だが、やはり、それを恐れて経済が行き詰まった時に出て来る問題の方がはるかに大きい。
 政府は、「Go To トラベル」を延長するという。コロナのためには、金に糸目を付けないとでも言うかのように、政府は節操なくお金を費やしている。1200兆円という借金がまるで他人事であるかのように、である。これもまた非常に危険。やはり、トリアージを余儀なくされることを覚悟の上で、「コロナ非常時」を解消していくしかないのではなかろうか。