政府ではない。各自の努力こそ・・・

 元々の予定によれば、今日、修学旅行から帰宅することになっていた。言うまでもなく、その修学旅行は中止になったのだが、なんと昨日、勤務先の学校で初めての感染者が出た。しかも、私が所属する学年である。当然、この2~3日の間に感染したわけではないから、それと知らないままに修学旅行に出発し、現地で感染が分かって大騒ぎ、更には、起居を共にしていた他の生徒にも感染し、大規模クラスター発生という最悪のパターンになっていた可能性がある。不本意ながら中止にしたことで救われた。「行く行かない」の議論の時、私は強行派最右翼だったので、あくまでも、あくまでも結果論と言いつつ、いささか忸怩たる思いがする。
 幸い、私は感染者の出たクラスに授業に行っていなかったため、濃厚接触者に指定されず、PCR検査の対象ともならなかったが、15日まで自宅待機を命じられることになった。今日は、組合の会議に出るため仙台に行く予定だったのだが、キャンセルし、誰もいない牧山に走りに行っただけで、あとは自宅で大人しくしていた。

 「Go to 何とか(主にトラベル)」の見直し論議が高まっている。経済を何とかする方が大切だ、というならともかく、医療崩壊を避けるためにも感染絶対阻止!というなら、見直しは当然だ。この期に及んでも、首相が見直しを考えていないと言うのは、あくまでも経済にこれ以上のダメージを与えるわけに行かないとのことなのだろうが、説明が足りなさすぎて、何がしたいのか分からないというような状況になっている。
 しかし、私は思う。国が「Go to」を規制するかどうかにかかわらず、まずいと思えば国民一人一人がそんな制度を利用しなければいいのだ。国が「いい」と言っているものは無条件で「いい」、せっかくだから利用しなければ損・・・こんな主体性のないバカげた話はない。
 同様のことで思い当たることはいくつもある。今の首相は、最初の所信表明演説で、2050年に温室効果ガスの排出を「実質ゼロ」にすると表明した。環境最優先主義者の私としては、甚だ歓迎すべきことである。もっとも、私がその割にはしゃがないのは、首相の言う「実質ゼロ」の、特に「実質」の部分に引っかかるからである。電気をどうやって作るかの議論がないままに、電気自動車を増やすというのもごまかしだ。

 そもそも、今の政権、いや、前の政権から、いや更に前の政権から、日本はただひたすら、欲望の赴くままに生きる道を選択してきた。その途中で、突然、180度の大転換があるわけがない。ずるい彼ら(=政府要人)のことである。きっと、ゼロに見せかけるための小細工を施そうとするに違いない。首相は、これを発展のチャンスだと言う。私は、環境問題の克服と「発展」は絶対に両立しないと思っている。
 それはともかく、温室効果ガスの排出量を抑え、温暖化に少しでもブレーキをかけるためには、政府が何をするか待つ必要なんて全くない。各自が、その生活の中で温室効果ガスの排出量を抑える努力をすればいいのだ。おそらく、世の中の人々全てが超左翼の環境主義者である今の私と同様の生活をすれば、温室効果ガスは半減するはずなのである(ゼロは極めて難しい)。
 原発も同様。最近、宮城県知事が女川原発の再稼働に同意したというニュースが流れ、世間であれこれ取りざたされている。しかし、原発を動かすとか動かさないとか言うより前に、原発を動かさなくてもいいシステムを構築すること、少なくともそこへ向けて努力することが大切だ。節操なく電気を使う生活をしていて、「原発反対!」は勝手である。要は、新しい技術開発でも何でもない。まずは各自が少しでも電気を使わない生活をすることである。
 世の中には、自分だけでは出来ないことというのがたくさんある。実際、例えば前回書いたとおり、我が家だって、出来るだけゴミを出さない生活をしたいと思いつつ、買い物をすれば膨大な量のゴミを同時に買わされてしまう。自給自足をすることもできないとなれば、ゴミを大幅に減らすことは不可能だ。
 私は政府が何かをすることを否定するわけではない。だが、政府が動かなくても、問題意識さえあれば各自で出来ることはたくさんある。自分自身で欲望全開の生活をしておきながら、温室効果ガスの削減を多く口にし、「政府が何もしない」と愚痴をこぼすのは最悪だ。むしろ政府は、国民一人一人の努力ではどうにも出来ない部分をどうするか、という点についてこそ、政策的解決を図るべきなのだ。