猫に小判か?金言か?

(2021年1月20日付け「学年だより№77」より①)


 1月12日、歴史作家の半藤一利氏(90歳)が亡くなった。この「学年だより」でも、人の生き方というものを考えるきっかけとして、今までに何度か訃報を引用したのだが、半藤氏の訃報は全て大きすぎて、裏面にしか印刷できないサイズだったのであきらめた。新聞に掲載される訃報の大きさは、その人の業績や影響力の大きさに比例する。東京空襲を体験し、戦争の愚かさと悲惨さを痛感した人間として、その歴史について詳細なる調査と考察を行い、しかも、平易に表現できる人だった。
 半藤氏が書いた『昭和史1926→1945』(平凡社)などを読むと、当時の人々の行動原理と今の人間のそれとの間に共通点が多すぎて、私などは衝撃を受ける。人間は本当に過去から学び、少しずつでも賢くなっているのだろうか?世の中はこれからどうなっていくのだろうか?と考え込まずにはいられない。
 もっとも、それほど半藤氏が丹念に調査し、一般的な日本人にも理解できる形にしてくれているにもかかわらず、その作品を読み、「温故知新」に努める人はまれだろう。これから先、半藤氏の著作が「猫に小判」に止まるのか、正に「金言」として力を発揮するのか、それは私たちの側にかかっている。これもまた、私がよく言う「学びの成果は学ぶ側の主体性にかかっている」ということなのだよ。


裏面:1月16日付け河北新報「トランプ氏SNS投稿停止 アカウント凍結 熱帯びる議論」を貼り付け。また、その記事の中にあるツイッター社CEOの「葛藤」を解説する記事として、1月15日毎日新聞「『正しい』一方『危険な前例』」を添えた。
平居コメント:日本時間で明日の未明、アメリカの大統領が交代する。今回の政権交代は、アメリカの歴史の上で極めて例外的な、異常なものになる、と言われている。その中に、このアカウント問題もある。現職大統領の発信が続々と停止に追い込まれるというのは、本当に異常だ。トランプ氏が暴力を正当化するような発言をしたから停止、というのは分かりやすいのだが、記事にもある通り、それは同時に言論の自由を脅かす判断でもある。そして、言論の自由は民主主義を支える基礎基本とも言うべき重要な権利である。最大限認められるべき自由と、社会秩序の維持というジレンマ・・・社会について考える練習問題としてはとてもいい。ただし、なんとなく考えるのではなく、この問題について過去にどのような議論の積み重ねがあるのか、多少なりとも調べてみた方がいい。