今年の年賀状から

(2021年1月20日付け「学年だより№77」より②)


 昨日、年賀状の抽選があった。1度でいいから1等(30万円)が当たる経験をしてみたいと思っているのだが、100万枚に1枚の確率は手強い。2等(ふるさと小包)でさえ1万枚に1枚で、かろうじて生涯に一度当たるかも知れない、といったところなので、まあ1等が当たらなくても文句は言えない。今年、3等(切手シート)だけが5枚当たった。3等は100分の3の当選確率なので、130枚の年賀状を受け取った私の場合、4枚が確率通りの枚数だ。実際には5枚だったから、今年は「勝ち」(笑)。いい年になりそうだ。
  先週どんと祭があり、そしてこの抽選が終わると、私の心の中で「お正月」は完全に終わる。さて、恒例、今年受け取った年賀状から、少し印象に残ったもの、何かを考える材料になりそうなものを少し紹介しておこう。

「価値観が変わり、よい方向に舵が切られることを祈るばかりです。『今だけ、自分だけ、お金だけ』の価値観が沈み、心を大切に出来る世の中であって欲しいと願うものです。」(栗原の某学習塾の先生。実直な敬慕すべき人物。)

全体主義的風潮が強まる中、歴史に学びつつ、今年も山梨からささやかな問題提起を続けていきたいと思います。」(山梨平和ミュージアムの館長さん)

「会社を早期退職し、7月に郷里に引っ越しました。半年が過ぎましたが、感染症の拡大と同居する父親の世話で大幅に制約を受けて、やりたいと思っていたこともままならない状況が続いています。このままつまらない老後を迎えそうで、何とかしなくては、という気持ちがつきまといます。」(昔、旅行中にイランの安宿で出会い、イスラエルまで1ヶ月半を共に過ごした友人。私たちの世代には共通の悩みと現実。)

「今年は当たり前の日常が戻ることを心より願っております。ドイツと東京にいる息子たちとも、この1年近く1度も会えませんでした。彼らのもとに行くことも彼らの帰郷もままならず、まるで『方丈記』の中のヤドカリのように、『ただ静かなるを望みとし』ておりました。」(元県外の某私立高校の英語の先生)

「いろいろなことが中止になりました。これも貴重な経験と思おうと思います。2020年のマラソン走行距離は3000㎞超になりそうです。」(県外の某私立高校の国語の先生。64歳!!人間は努力すれば誰でもこうなれるのだろうか?ちなみに、私もかつてはけっこう走っていたが、加齢によって筋肉も腱も硬くなり、怪我をすることが増えたので、今は年に1000㎞くらいまで減らしている。)

「10月からは勤務部署が東京からつくばに引っ越し、窓から見る空が広くなりました。モニター上で技術開発をするにしても、こういった環境はとても大事なのだな、と気付きました。」(山岳部の教え子。私の教え子の中で最優秀。気象庁の幹部。)

「あっという間に東京暮らしが10年を超えました。コロナで大変な時期ですが、会社で社長賞MVPを頂きました!!苦難から逃げずに顧客に向き合った結果です。落ち着いたら飲みましょう!!」(教え子。「逃げずに」は大切だ!)

「君が近くにいたらな、と思うことがしばしばあります。最近思うことを一つ。『考える』という行為に対して、『気付く』というのは低次元の偶然のことのように思われがちですが、実はそうではなない。心身に力みが入り、どこかに無理が入る前者に比べて、『気付く』というのは、その人も気付かない無意識層から発せられる貴重な信号のように思われるのです。」(高校時代の恩師。重度のパーキンソン病のため、長く自宅で闘病生活を送ってきたが、遂に療養施設に入ってしまったようだ。鉛筆書きの猛烈に読みにくい文字。なぜ師が今、「考える」と「気付く」の違いに心動かされているのか?それを考えているところ。)

改めて、いい1年になりますように。