平凡で静かな幸せ

 朝起きたら、また(→前回見た時の記事)宮城丸が見えた。ただし今回は、双眼鏡で見てようやくそれと分かるほどの距離である。我が家から猫で有名な田代島の方角、5㎞以上離れているのではあるまいか?2週間の健康観察期間、ずっと港に泊まっているわけにもいかず、石巻湾をうろうろしているものと思われる。機関工学類型の生徒が実習するなら、遠洋に出なくてもいろいろと勉強は出来るだろう。1時間あまり後、ふと気が付くと、もう宮城丸はいなくなっていた。
 今の季節、私は毎日暗いうちに家を出る。今日、宮城丸に気付いたというのは家にいたということである。実は昨日も家にいた。娘の通っている学校でクラスターが発生し、娘が濃厚接触者に指定され、今日PCR検査を受けることになった。その結果、息子も妻も私も、それぞれの学校・職場で自宅待機を命じられたというわけである(11月にも似たようなことがあった→こちら)。期間は、娘の陰性が確認されるまで。仮に娘が陽性だという話になると、我が家全員がその濃厚接触者ということになるので、いつが起点かは知らないが、2週間の自宅待機となる。娘の検査の結果は明日出るらしい。
 我が家は4人の小さな家族なのであるが、子どもたちは野球、野球で土日の方が忙しい。従って、休日でも朝は早いし、かろうじて夕食こそ一緒に摂るものの、昼食はばらばら。ところが、この2日間、朝から晩まで、ずっと家族が一緒にいた。朝食も他の家並みの時間、昼食もおやつも一緒。くだらないことを言い合ってはゲラゲラと笑い、じゃれる。こういう平凡で静かな日常って本当にいいなぁ、と、ほとんど奇跡のように貴重な時間のありがたさを噛みしめるように過ごした。
 一方、職場には迷惑をかけた。特に3年生の古典の授業。7クラスを3人で担当しているのだが、私だけでなく、もう1人、家族の職場で患者が出たために自宅待機となった教員がいて、3人中2人が不在。私も口頭で課題の指示だけはお願いしたものの、他の人たちも自分の授業があるわけだから、その教室に出席確認と課題指示のために行くだけでも大変だ。しかも、3年生は来週の木曜日から最後の定期考査で、私は考査範囲も終わっておらず、考査問題も作っていない。私ともう1人の教員の家族がともに陽性となり、2人とも更に2週間の自宅待機となったら、一体どうすることになるのだろう?
 本人が濃厚接触者でない限り、保健所はその行動にとやかく言うことはないらしいので、今の私は学校独自ルールがなければ出勤できる状態だ。だが、濃厚接触者に指定されたり、無症状でも陽性と判定された時には、仕事は出来ない。私などは「営業成績」などという言葉とは無縁の世界に住んでいるからまだいい。これが民間企業、いや自営業だったらどうなるのだろう?単に休んでいる間の分が減収になるだけでなく、場合によっては顧客が離れることもあるだろう。他人事ながら、そんな心配をする。
 今の政治の混乱などを見るまでもなく、感染症対策の難しさは、経済との両立にある。感染者を減らすためには、政府の「小出し政策」が非常に悪いことは明白だ。しかし、感染症対策を最優先に考え、ロックダウンまで実施することで感染者を減らしたとしても、火種まで消すことは出来ず、それが残れば必ず再燃はする(12月だったか、台湾で約250日ぶりで感染者が出たというニュースがあった)。
 だとすれば、集会が開けない、人の表情が見えないといったことが長期的に及ぼす悪影響も考えると、感染症対策などあきらめるしかないのではないか?という気になる。もちろん、感染者は急増する。医療崩壊も起きる。その中で十分な治療を受けられずに死ぬ人も相当数出る。だが、生き残る人は生き残る。それは自然の摂理(運命)として受け入れるべきものではないのか?
 政権とか組織の責任者というところから無縁な場所にいるから言えること。それは重々承知しているのだが、では、それを否定したとして、今後どうするの?という話になると、本当の名案を持っている人がいるようには、私にはどうしても見えない。