老大家よりも若者!

 今日は、わずか2週間ぶりで仙台フィルの演奏会に行った。もちろん、定期演奏会ではない。山田和樹指揮の特別演奏会で、「ノスタルジア」というタイトルが付いている。
 定期演奏会に行ったばかりだし、チャイコフスキーの4番というのがあまりにも仰々しくて好きになれない曲だということもあって、今日の演奏会には元々行く気がなかった。ところが、先日老大家が指揮する演奏を聴いていて、無性に若手演奏家による活きのいい演奏を聴きたくなった。山田和樹という指揮者の演奏には今まで裏切られたことがないので、これはもう行くしかないな、と思って切符を買った。
 「聖職者と芸術家は、年を取れば取るほど有難味が増す」というような言葉をどこかで聞いたことがある。芸の道を極めることは難しい。少しでもその奥深くに入り込むには、長く生きることが必要だ。楽器演奏者は技術的な衰えが生じることを避けられないので、年を取ることが必ずしもプラスにはならない。しかし、自分が音を出さない、精神的な役割の大きい指揮者という仕事は、年齢に伴う深化が決定的に重要だ。私は長くそう思い、田舎暮らしのハンディがある中で、80歳あるいは90歳を超えたような老大家の演奏に接する機会をそれなりに持ってきた。
 しかし、90歳の時に仙台フィルに客演したジャン・フルネや、毎年テレビで見る機会のあるブロムシュテッドを例外として、正直なところ、期待に見合った感動があったとは言い難い。芸の道数十年に対する畏敬の念が、殊更に彼らを感動的に見せているに過ぎないようだ。ブロムシュテッドについては、90歳に見合った円熟の演奏と言うよりは、その生き生きと若々しい演奏に感動するのである。その演奏に対して、「90歳であるにもかかわらず」と枕を付けるのは失礼というものだろう。
 あるいは、老大家の演奏に魅力を感じなくなってきたことは、彼らの演奏の質の問題ではなく、私自身が、老境に憧れを抱く年齢から、若者に輝かしさを感じる年齢へと移行してきたことを反映しているのだろうか?
 さて、今日の演奏会。前半はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(独奏:萩原麻未)。指揮者によるプレトークによれば、萩原氏は妊娠8ヶ月で、しかもこの曲を初めて演奏するという。ジュネーブ国際コンクールで優勝してからでも10年のキャリアのある彼女が、これほどポピュラーな曲を弾いたことがなかった(弾かずに済んできた)というのはびっくりだ。妊娠8ヶ月が、演奏にどのように関係するのかは分からないが、これだけ体力の必要そうな、正にピアノと格闘するがごとき曲を演奏するのは大変だろうな、と思った。が、なんだかピアノがあまりよく響かず、少し期待外れではあった。
 後半は、チャイコフスキー交響曲第4番。冒頭にも書いたとおり、ひどく仰々しくて好きになれない曲である。我が家のCDラックを探しても、チェリビダッケのボックスセットの中に1枚含まれるだけで、他にはない。その1枚だって聴いたことがあるのかどうか・・・記憶がない。ライブでも、おそらく就職してからの30年あまりで1度も聴いたことがない。おそらく避けているのだ。唯一記憶にあるのは、昨年NHK・Eテレで放映されたカラヤンベルリンフィルによる第1楽章の映像だけである。
 それでも、今日の演奏は素晴らしかった。いつも同じことを感じるのだが、山田和樹という人はオーケストラに楽しく仕事をさせる人である。彼と音楽をするのは楽しい、そんな思いが強く伝わってくる。その結果、オーケストラは指揮者にとてもよく反応し、一体感と集中力を強めていく。ものすごい凝縮された感じの演奏で、聴衆の側からすれば、オーケストラの快感ここに極まれり、だ。
 ラフマニノフの後には、ピアノ独奏ではなく、トリオ(Pf、Vn、Vc)による「ヴォカリーズ」が、チャイコフスキーの後には「弦楽セレナーデ」の第3楽章「エレジー」が演奏された。アンコールだけで15分。これは珍しい。こんなサービスも山田氏の発案のようだ(プレトークの時点で、長いアンコール曲を用意しているとの予告あり)。マイクを持つと饒舌すぎるのが玉に瑕か?