(ブログの読者の方へ:冒頭は2017年4月5日記事の焼き直しです。ごめんなさい。震災との関係で、今月だけで既に2回リンクを張ったので、今日は張りません。)
(3月17日付け「学年だより№84」より①)
2週間を超える長い休校期間が、ひとまずは終わった。この間、3月9日に我が家でウグイスの初鳴きがあった。塩釜神社の河津桜は今日にでも開花するだろう。今週末、土曜日は春分の日。
さて、その間にあったことと言えば、「みやぎ鎮魂の日」を忘れるわけにはいかない。今年は10年目ということで、記憶の風化、伝承の必要性ということが、特に強く問題とされていたような気がする。例によって天の邪鬼な私は、そんな世間とはまったく逆のことを考える。
今回の津波は「史上初」だったわけではないし、調べてみると、昔の人も教訓を伝えようと様々な努力をしてきた。だとすれば、大切なことは、自分たちの体験を後世に伝えることではなく、私たちはどうして過去の津波体験・教訓を継承できなかったのか、を考えることではないか?
自分の体験を人に語ることは簡単、簡単。しかし、歴史を学ぶには謙虚な心と忍耐とが必要だ。だから、人は自分のことばかり語ろうとして、過去から学ぼうとはしないし、被災者がいくら頑張って教訓を語っても、耳を貸さない人は増えるのである。このことは、私が今まで諸君に繰り返し言ってきた「学習の成果は学ぶ側の主体性にかかっている」(これをいかんせんこれをいかんせんと言わざる者は、我これをいかんともすることなきのみ)ということの正しさを証明しているではないか!
人間が体験をすべて生々しく記憶していたら、おそらく正気ではいられないだろう。忘れることは、自分を守るための貴重な能力である。地震や津波は単純な自然災害であり(原発の事故はそれとは違って社会問題)、教訓もまた単純だ。学ぶ意欲さえあれば、後から学ぶことなど簡単だ。あくまでも、意欲さえあれば、である。そして世の中には、津波よりもはるかに複雑、面倒だが、大切な、学ぶべき過去がある。忘れてはいけない。
【やっぱり?びっくり?!・・・塩釜市ジュニア俳句コンクール結果】
3月2日に結果が届いた。一見して笑ってしまった。私たち2学年国語科が選んだものと1句たりとも重なっていない。ここまで徹底的だと喜劇だ。
塩高からは、1・2年生の提出者全員の作品を応募したのだが、入賞した8人のうち6人は2年生だった。面目を保ててよかった。今回は2年生分のみ紹介しておく。ぜひ、「学年だより№78」(→こちら。ただし、一部のみ)で紹介した国語科教員選のものと比べて、句や評価の是非を各自なりに考えてみて欲しい。
志波彦・塩釜神社賞:今年こそ年越しそばを越す前に
むじな賞:白鳥はV字で示す我が道を
(注:「むじな」とはスポンサーになっている俳句雑誌の名前)
優良賞:鬼退治桃が流れてこない方
がむしゃらに降る雪狙う犬のくぅ
自転車に乗りて味わう春の風
流れ星私の心光らせる