人口減で国は滅びる・・・わけがない

 夏至まで1ヶ月あまり。日が長い。私は毎朝、5時20分に起きるのだが、当然すっかり明るいし、夕方、6時半に帰宅した時にも明るい。明るいと海を見る。ところが、最近は珍しい船、商船以外の船が停泊していることがなく、少々退屈気味であった。そうしたところ、先週木曜日の朝、久しぶりで白い船(←タンカーや貨物船にはない)が目に入った。しかも2隻もである。見た瞬間に、片方はJAMSTECの「新青丸」であると分かった。もう片方は、「みやぎ丸」によく似たフォルムで、練習船であることは分かるのだがどこの船か分からない。双眼鏡で見てみて、岩手県の水産高校練習船「りあす丸」であると分かった。「みやぎ丸」は今、遠洋航海実習の最中で、日付変更線のすぐ手前にいる。どこの水産高校でも、同様のスケジュールであると思うが、なぜ石巻沖になんかいるのだろう?土曜日、母の生活支援に行く途中で石巻工業港やヤマニシ造船をそれとなく眺めてみたが、私が車の中からざっと見た範囲では、両船とも見つけられなかった。
 帰宅後、釜石漁業用海岸局のサイトを見てみると、宮古から単純に石巻を往復したようで、土曜日朝に石巻を出航して宮古に戻ったようだ。宮城県水産高校で言う「短期航海」(遠洋航海実習前の訓練航海)かな?「新青丸」は「Marine Traffic」なるサイトで調べてみると、今は九十九里浜沖でウロウロしながら何かの調査をしているようだ。いいなぁ。

 話はがらりと変わる。
 5月12日の朝日新聞「多事奏論」欄は面白かった。原真人という編集委員が書いている。見出しは「出生数・婚姻数の急減 人口減で国は滅びるか」である。
 何しろ世の中の論調は、政府に対して批判的なメディアも含めて、「少子化は困ったことだ」一辺倒だ。異論は一切存在しないかのようである。だが、私はまったく逆のことを考えている。人口が大きく減らなければ、日本人は(人類は)生き延びられない(→参考記事1参考記事2)。これはものすごく当たり前で、しかも容易に思い至ることのような気がするのだが、なぜか滅多なことで同様の意見にはお目にかかれない(温暖化が脅威であり、それを少しでも緩和するには、今のような消費生活をしていてはダメだというのも「ものすごく当たり前で、しかも容易に思い至ること」のはずなのに、ゼロではないにしても、そのような意見にお目にかかることはほとんどないのだから、人口問題についても仕方がないのだろう)。
 今回目に止まった原氏の記事は、例外中の例外。私と同様、人口減を目指すべきだ、というものである。しかも、驚いたことに、1970年代に政府は「人口を抑制したい」と考えていたというのだ。「食料やエネルギーの確保、環境負荷などの諸課題を考えれば、人口が将来にわたって膨らみ続けることには無理がある」、当時の政治家や官僚たちはそのように心配していたらしい。現在の政治家の言動があまりにも低レベルであることもあって、50年前の政治家がこんなに当たり前でまともであったことは、大きな驚きだ。最後に氏は次のように書く。

「私も知らず知らずのうちに成長信仰のとりこになっていたのか、つい人口減が国家を滅ぼすと思い込んでいた。半世紀前、賢人たちが地球や日本の未来を見すえて大事な答えを探してくれていたのに、そのことをすっかり忘れていたようである。」

 この原氏とて決して頭の悪い人ではないだろう。それでいて「成長信仰のとりこ」になっていたというのは恐ろしい。それでも、今気が付けたから良い。おそらく、ほとんど全ての人たちが、こんな認識に至らないまま、人口が多すぎることの行き詰まりに直面して、右往左往することになるのだろう。いやいや、それはやはり回避できるに越したことがない。いかにも「賢人」ぶっているようで申し訳ないのだが、やはり、「人口が減っても国家は維持できる」どころか、人口を大きく減らさないと生き延びられないというのは、あまりにも当たり前のことだと思う。私なんかよりもはるかに大きな発信力を持つはずの原さん、頑張って下さい。

(ちなみに、国家が維持できるとか維持できないとかいう書き方は非常に良くない。国民あるいは人間が生き延びられるかどうかという問題である。)