津波伝承館と楽しい焚き火

 我が家の眼下に広がる石巻南浜津波復興祈念公園(39㏊、76億円!!)という大緑地は、中央に「みやぎ東日本大震災津波伝承館」という丸いガラス張りの建物がある。広さ1300㎡。屋根は斜めになっていて、その1番高い部分が、その場所を襲った津波の高さを表しているのだという。建設に約10億円、展示整備費として4億円がかかったらしい。お金を出したのは国だが、今後の管理は県によって行われる。名前の通り、東日本大震災の記憶を伝承するための施設で、各種展示物の他、修学旅行等でやってきた団体さんが被災者の話を聞くためのスペースもあると聞いていた。
 ところが、3月末に公園がオープンした時、伝承館はオープンしなかった。コロナウイルスの感染対策のためである。そしてそれから2ヶ月あまり、国のまん延防止措置が解除になったことを受けて、今日、ようやくそれがオープンした。
 一般者の入場は15時から、ということだったが、それに先だって開館式が行われるらしく、我が家から見ていると、12時半頃から黒塗りの車が続々と到着し始め、暑いのにスーツを着た方々が車から降りてくる。さすがに我が家から10倍の双眼鏡で見てみても、誰が来たかまでは分からなかった。
 我が家から歩いて10分もかからないところにあるわけだし、地元のことを知らないのも恥ずかしいので、15時半頃に見に行った。別に「密」を避けるというわけではなく、私は元々混んでいる場所が嫌いなので、ほとぼりが冷めた頃にと思っていたのだが、我が家から見ている限りでは、続々と人が詰めかけているという感じではなかったので、「じゃあ行ってくるか」となったわけである。
 たいした展示物があったわけではない。映像もつまらなかった。これらに4億円もかかったというのはびっくりだ。「津波が来たらとにかく早く逃げろ」という教訓を、あちらでもこちらでも繰り返していた。こんな単純な教訓を、これだけ仰々しい施設で語らなければならないとしたら、なるほど、戦争に関する複雑微妙な教訓など伝わるわけがないのである。津波地震だと言っている一方で、アホな政府による管理統制は強まり、温暖化には一切ブレーキがかからず、人の世は間違いなく近い将来にクラッシュするだろう。100年後にまた来るかも知れない津波の心配など無駄である。
 帰宅後、庭で焚き火をした。昨年末に切って乾かしてあった梅の枝を燃やしたのである。ゴミ処理が目的ではない。子どもたちが火を焚く経験をしていないので、それはゆゆしきことだ、一度経験させなければ、と思っていたのである。なにしろ火を燃やすことは人間の証明みたいなものである。そして何よりも、それはとても楽しいことだ。
 私は小学校時代から焚き火が大好きで、自宅でもよくゴミを燃やしていた。山岳部の顧問として山に生徒を連れて行っても、焚き火を教えると、取り憑かれたように火から離れなくなる生徒は多い。
 何がそんなに面白いのかと言われても少し困るのだが、あの火というものは、いくら眺めていても飽きないのである。火は人間を思索へと導くのだな。そして、「おき」の美しさ!!炎が落ちた後、赤く明滅する「おき」を眺めていると、美しいというだけでなく、なんとも言えない落ち着いた気分になる。30年ほど前のダイオキシン騒動以来、気軽に焚き火がしにくくなったのは本当に嘆かわしい。
 と言うわけで、我が家の子どもたちも焚き火の経験がなかったのである。さあ、彼らに焚き火を経験させるぞ、と思うようになってから久しいのだが、家族もそれぞれが忙しくて同時に時間が取れない、時間が取れたと思ったら風が強い、雨が降っている・・・という具合で今日になった。コンクリートブロック6個をコの字に並べてかまどを作り、そこで燃やした。約半年間放置してあった梅の木は、まだ意外に水分を多く含んでいて火のつきが悪かったけれど、やがてまともな焚き火になった。中にジャガイモを突っ込んで焼き芋をしたこともあって、日頃私に背を向けがちな我が家の子どもたちも、なかなかにご機嫌で火に向かっていた。今日は暗くなるまではやらなかったので、「おき」の美しさに心奪われるという体験はさせられなかったが、切った梅の木の5分の1も燃やしていないくらいなので、また近いうちに出来るといい。
 乾燥不十分だったこともあって、多少の煙が出た。世知辛い世の中である。苦情の一つも来るかと思って心配したが、近隣の方々は寛容だったようである。ごめんなさい。