トイレに行った運転士

 かれこれ1ヶ月前の5月16日、東海道新幹線で「ひかり」号を運転中の運転士が便意を催し、走行したまま、車掌に運転台を見ていてもらって、トイレに行ったという事件があった。運転席を離れたのは3分間。その間に事故が起きたわけでもなく、結果オーライで済みそうな感じもする事件であったが、その後、話題にされているのを何度も目にした。
 昨日の「東洋経済オンライン」記事によれば、JRには「乗務員疾病」という規定があり、その規則に基づく限り、電車が少々遅れても責任を問われない。この列車の場合、小田原駅で停車中に指令に断った上でトイレに行けば、問題にはならなかったはずであるにもかかわらず、そのような手順を踏まずに、運転士資格のない車掌に任せて、走行中にトイレに行ったから問題になるのだということだ。確かにその通りなのだろう。
 しかし、そのような規定があるというのと、実際にその規定を使えるかどうかというのは別の話である。例えば、私は職場で、「新型コロナウイルスまん延防止のため、少しでも体調が変だと思った時には遠慮なく休んで下さい」と強く言われている。学校でクラスターが発生した時のことなど考えれば、確かにそうすべきだ。しかし、それが実際にできるだろうか?とにかく学校という場所は忙しいのである。私が休めば、他の誰かが更に忙しい思いをしなければならない。他の教員と進度を揃えながら教えている時に、自分の担当クラスだけ遅れれば、次の考査範囲にも影響する。そういうことを考えて、結局休むことはままならず、少々無理をしてでも、場合によっては体調不良を隠して勤務しなければならない(=私が実際にそんなことをしたわけではない。仮想の話)。
 新幹線のダイヤが15秒刻みで設定されていることはかなり前から知っていたが、2~3年前に、そのダイヤから2秒ずれると「遅れ」と見なされるということを知って、まさに驚愕したことがある。正確に言えば、通過で「±2秒」、停止で「±5秒」ずれると「定時運転」とは見なされなくなるらしい(「人間工学」第55巻、2019年。JRの社員3人による論文)。本当にびっくり仰天!異常な世界だ。今回の出来事だって、三島駅をわずか1分遅れで通過した理由を、指令が運転士に問い質したことで発覚したという。
 思えば、2005年4月に、福知山線の列車が脱線し、マンションに激突して100人以上の死者を出した事故だって、前の駅でオーバーランをしたことで生じた遅れを回復させようと、無理にスピードを出しすぎたことが、事故の要因であると指摘されている。更に言えば、私鉄との競争の中で、ダイヤに余裕がなく、しかもそのダイヤ通りに運行することが極めて厳しく求められていること、それができなければ「日勤教育」という「いじめ」もしくは「懲罰」に等しい研修を受けさせられることが、運転士に異常なプレッシャーを与えたのだ、という指摘も。
 現在、東海道新幹線の遅れは、年間を平均してわずか20秒ほどである。これは地震や台風といった自然災害によるものも含めての値だ。地震や台風の場合、遅れは数時間に上ることも珍しくないから、そのような特殊な遅れを別にすると、遅れは「ゼロ」に等しい。
 こんなJRの誇るべき実績も、現場の運転手にとっては非常に大きなプレッシャーだ。このようなギリギリのレベルで日々運転することを強いられている人が、トイレに行きたいから列車を止めるなどということが可能であるとは到底思えない。それは人間離れした「勇気」の必要な行為である。
 運転士にしてみれば、規則通りの手続きを踏んでトイレに行けば、100%の確率で遅れを出すことになる。一方、定速運転している新幹線の運転席から3分間離れたからと言って、事故が起きる確率は著しく低い。いざとなれば自動列車停止装置(ATS)だって作動する。死者が出るような事故が起きる確率は限りなくゼロに近いと言ってよいだろう。だとすれば、規則に従って遅れを出すよりは、列車を走らせたまま席を離れて用を足し、知らん顔をした方がいい。こう考えるのは人情であり、自然である。私にはどうしてもそれを責められない。
 今回は軽微な腹痛で済んだようだからいいが、運転士が心筋梗塞や脳溢血、大動脈解離など、何の前触れもなく発症し、瞬時にして死に至るような病気に襲われる可能性もないとは言えない。本当に安全運行を目指すのなら、運転士を2人体制にすることがどうしても必要だ。悪いのは運転手ではなく、コスト削減のために運転士の1人乗務をさせている会社なのではないか?

 会社が1人乗務体勢を取っているのが、鉄道事業の斜陽化による窮余の措置なのか(JR東海に関して言えば、こんなことあり得るかな?)、利益最優先の帰結なのかまでは分からない。ただ、必要なものは必要なのである。少なくとも、「こうすべきだった」と言って運転士を責めるのなら、会社に対しても「こうすべきだった」と言わなければならない。やはり私には運転士が責められない。