模範解答または新聞の活字の大きさ

(6月10日付け「学年主任だより№9」より)


 「選挙講話」の数日後、左のような葉書が届いた。差出人は、塩竃選挙管理委員会委員長K・Hさん。手書きだということもあり、若者に対する熱い期待が伝わってくるので紹介しておく。

(縮小コピーして貼り付けた葉書の文面=一部省略:立派で丁寧に使われている体育館で、若い皆さんとご一緒でき、ワクワクなひとときでした。思えば、塩釜高校の皆さんには、塩釜駅本塩釜駅での早朝の選挙啓発活動に参加していただいたり、また写真部の皆さんの協力で素敵なポスターを作っていただいたりと、とても好意的に協力して戴き、大変感謝しております。願わくば本日の体験を活かして、「18歳未来を変える権利あり」の気概を持って一票を投じて下さい。投票場でお待ちしています。)

 一方、県総体期間中に机の引き出しを整理していたら、右のような記事が出てきた(2020年9月12日の朝日新聞。見出しは「最近の学生の傾向は 見事なプレゼン でも 意見は紋切り型」14×6㎝の記事)。共感を覚えて切り抜いておいたものの、大きさが中途半端だということもあって、使えないまま眠らせていたようだ。それを今日持ち出すのは、日頃、諸君の作文を読みながら、私も記事と同様のことを少し気にしているからだ。
 人の話を聞いても、映像を見ても、授業で作品を読んでも、その後で諸君に書いたもらった作文には非常に前向きなものが多い。「これをきっかけに、調べてみたい(考えてみたい)」の類いだ。選挙講話の作文で言えば、「候補者のことをよく調べて、必ず投票に行きたい」だろうか。記事では「紋切り型」と書いているが、私の実感としてはむしろ「模範解答」だ。なるほど前向きで立派なのだが、日頃の生活を見ていると、本当に言ったことを実行しているとはあまり思えない。それができていれば、今ほど言葉や社会問題について無知であるはずはないからだ。諸君は、自分を前向き・真面目な生徒に見せるための技術を身に付けてきたのではないか?
 こんな私の思いが、どうか「誤解」であり、諸君に対する「失礼」でありますように。その場合はどうかご容赦を。「必ず投票に行く」ね?


裏面:6月1日付け日経「Future of education」欄、見出し「低所得層の大学進学支援制度 対象者の2割知らず/効果さらに検証必要」(小林雅之筆)を貼り付け。
平居コメント:前々回、奨学金を安易に借りるな、いろいろな方法を検討してみよ、少なくとも急ぐな、というようなことを書いた。進学のためにはいろいろな方法がある。学校の担当者でさえ、その全貌はつかみ難い。くれぐれも慎重に。
〈余談〉この記事は縮小していない。それでも、先週の縮小(86%)した毎日新聞と文字の大きさがあまり変わらない。新聞の活字の大きさは同じではないのだ。最近、本でも新聞でも、活字は大きくなる傾向にある。本はそれによってページ数が増えるわけだから、値段は上がり、売れる冊数が同じなら増収となる。一方、新聞はそうそうページを増やせないので、1日あたりの情報量が減ることになる。ある新聞社では、活字を大きくすることは記者を減らしてコストの削減を狙う会社の陰謀ではないか?という説がささやかれているという話もあるくらいだ。文字を大きくすれば読みやすい、では済まない問題なのである。日経は1部売りで30円、月極購読で約1000円、他の新聞より高い。その値段差が活字の小ささ=情報量の多さを支えている。もしかすると、記事の質にも影響を及ぼしているかも知れない。


*これら以外に、昨日の学年集会の復習記事があったが、省略。